1話 永久凍土・雪華

05.神の遣い


 ***

 随分歩いたからか、雪の中を進むのにも慣れてきた。本当に人っ子一人居ない凍土というのは幻想的だ。身に染み入るような寒ささえ、一種の神聖さを感じる。

「――あれ」
「人影だな」

 雪景色の中に見える異物に梔子は目を細めた。鬼人の彼は既にそれが人影であると気付いていたようだが、接近してようやくそれが人の形をしている事に気付く。背中を見たところ、シキザキのように角がある鬼人では無さそうだ。

「ドールでも無さそうだな」
「どうやって見分けているんですか?」
「奴等は近付けば燃料の匂いがする」

 ――燃料の匂い。
 生物からは匂わないそれに一瞬だけ思考が止まった。どんな香りがするのか想像し、人間である自分にはきっと分からないものなのだろうと思考が落ち着く。

「じゃあ、人間なんですかね?」
「貴様の世界には人間か、それ以外しかいないのか? ……ただのヒューマンが、この雪の中で一人歩いている訳がない」
「クソ寒いですもんね。でも、凍土で何してるだろ。ノーマンさんの助っ人?」

 最早、梔子の妄言には耳を貸さず、シキザキはずんずんと歩いて人影に近付いて行く。その足取りに迷いは無く、獲物を見つけた野生動物のような危うささえ感じる程だ。

 近付くにつれ、その人物が来ているのはまるで教会にいる神父のような衣装だと気付く。絶対に寒いだろうなと確信を持てるファッションだ。少なくとも、雪が降り積もる山を出歩く格好ではないだろう。

「教会とかにいそう」
「凍土に教会は無いがな」

 不意に人影がこちらを振り返った。特に隠密行動をしていた訳でもないので、驚きはない。しかし、振り返った彼の方は自分達を見て少しだけ驚いたようだった。

「鬼人と……ヒューマン、ですか? 随分と珍しい組み合わせだ。私以外にも他種族がいるとは」

 男はそう言うと梔子をまんじりと見つめた。何故見られているのか、と考えて、そういえば凍土には鬼人とドールしか存在していなかったのだと思い至る。「私以外にも」、と言っているあたり、彼もまた部外者なのだろうが。
 どう返事をするべきか逡巡していると、シキザキが厳しい顔で問う。

「貴様、ここへ何をしに来た」
「失礼。私はシルザエル、見れば分かるでしょうが神使です」
「神使って何?」

 常識でしょ、みたいなニュアンスを感じ取った梔子は早急に隣の鬼さんに訊ねる。このまま不明点を放置したまま話を進められるのは困るからだ。
 答えをくれたのは眉根を寄せ、鬱陶しそうな顔をするシキザキではなく、神使と名乗ったシルザエル本人だった。

「ヒューマンが我々の存在を知らないのも無理はありません。私達は天におわします神々の遣い、謂わば地上の生物を導く存在です」
「え? あ、はあ……」

 酷く宗教臭が漂っている。困惑していると、鬼人から肘で小突かれた。

「真に受けなくて良い。奴等はそういう存在だ、とだけ認識しておけ。事実、神がいるかどうかなぞ確かめる術はない」
「あ、絶対にいないとは言わないんですね。まあ、神の定義なんて何を以て決めるのかもよく分かりませんけれど。とにかく、シルザエルさんは神の遣いって奴なんですね」
「ええ。そのように認識して頂いて結構です」

 何一つ理解できなかったが、自分の存在を『ヒューマン』と呼んで来る辺り、彼は人間ではないのだろう。それだけ分かれば十分だ。人間の理屈が通じない可能性もありそうだし、不用意な口出しは控えさせて貰う事にする。

 で、とシキザキが苛立ったように再度最初の質問を口にした。

「答えろ。貴様はここで、一体何をしている」

 シルザエルが爽やかな笑みを浮かべ、頷く。問いに答えるという意味で相違ないだろう。

「私は上司の命令で、この地に巣くう、神の存在を脅かす者達の取り締まりに来ました」
「簡潔に言え」
「神魔召喚を目論む召喚士を捕らえに来た、という事です」

 ――私達と同じ目的?
 そのように聞こえるが、彼は多分、財団のメンバーではない。運悪く、または運良く別の神魔を追う団体と鉢合わせたという事だろうか。ただ、彼の存在がやや焦臭いのでこちらの目的を話すのには尚早だが。
 じろじろとシルザエルを観察していると、彼は蕩々と言葉を紡ぐ。

「そちらの制服はフラリス財団ですね」
「そうだな」
「という事は、貴方方も神魔召喚の阻止を?」
「……そうなるな」

 目的を完全に見透かされている。嘘を吐いたところでどうしようも無いと思ったのか、シキザキは頷いた。これはどういう話の流れに転ぶのだろうか。