03.心配事
財団から支給された防寒着というのは予想以上の代物だったが、それをも凌ぐ寒さに梔子は瞠目せずにはいられなかった。日本で最も寒いと思われる北海道の冬より更に寒いかもしれない。尤も、道民ではないのであくまで小学校の地理レベルの知識でしかないのだが。
とにかく何が言いたいかというと、とにかく一面の銀世界。ここまで白い世界なんて、この場所をおいて病院くらいしか見当たらないに違いない。吐く息は白く凍り付き、水分という水分はすぐに凝固する。バナナで釘が打てるとはこの事だ。
人が住める場所では無い。この場所はまさに永久凍土、その一角である雪華だ。
「凄い、ここでシャボン玉吹きたい……」
シャボンが凍って、それはそれは幻想的な風景になるのではないだろうか。氷点下の世界でシャボン玉遊びをする事は人生において一つの楽しみであった。終ぞ叶わなかった訳だが。
梔子の呟きに対し、出発前から既に機嫌が氷点下だったシキザキが眉根を寄せる。
「シャボン玉なぞ、吹く前に凍るだろうよ」
「いや何か、あんまり暇で調べた時に割と楽しげだったから行けると思いますよ。氷点下シャボン玉。鬼さんも一緒にどうですか?」
「……下らん」
――おや?
一瞬だけ見えた哀愁に、目を眇める。彼は気難しい性格ではあるが、そうであるが故にちょっとした感情の揺れが見えやすい。海中をガラス窓を通して見るようなものだ。見えないように見えて、実はやり方さえ分かればよく見える。
今のお遊びについて、一体彼のどんな琴線に触れたのだろうか。それもそれで気になるところだ。
しかし、そんな考察もまた、仕事の始まりと同時に頭の隅へと消える。それまでメンバーを野放しにしていたウエンディが口を開いたからだ。
「シキザキ。私とオーレリアは西側から探索を開始する。くれぐれも梔子から目を離さないように」
「分かっている」
シキザキは鬱陶しそうだが、その態度は彼女の不安を大いに煽ったようだった。腕を組んだ精霊さんが目標を梔子へと変える。
「この通り、奴は君の体調変化に気付かないだろう。絶対に無理をしないで、不調を感じたらすぐ言うように」
「そうよぉ、梔子ちゃん。アイツ、見た目通りガサツなんだから」
オーレリアが心底心配そうにそう言う。出来れば引き取りたい、と涙ながらにそう言ったところで件の鬼人が苛々と舌打ちした。
「早くしろ。いつまでこの寒い中突っ立って話し込むつもりだ」
「何だか天気悪いですね、今にも降り出しそう」
シキザキの言葉で空を見上げる。冬の曇り空、という表現がピッタリな天気だ。どんよりと曇った空からは、今にも白い粒が降り出しそうである。
「いつもこんなものだ。晴れが拝めるとは思うな」
「毎日、天気悪いんですか? それは嫌だなあ……」
鬼人と、あとドールという種族が住んでいるそうだがシキザキの話が本当なら毎日長靴のような靴を履かなければならないし、服も厚手のものしか着れないのだろう。それはそれで洗濯とかが大変そうだ。
現実逃避にも似た思考を展開していると、オーレリアが名残惜しそうに肩に手を置いてくる。
「それじゃあ、梔子。アタシ達はこっちだからまた後で会いましょうね」
「無事を祈っている。行くぞ、オーレリア」
「はいはーい、了解」
もう一度だけこちらを一瞥したウエンディは今度こそ、自分の持ち場へと去って行ってしまった。ああ、寂しい。
「鬼さん……。私達はどっちへ行けば良いんですかね。真っ白で右も左も分からないんですけど」
「こっちだ」
行き先を説明するのは面倒だったのか、そう言うとさっさと鬼人は歩みを始めた。慌ててその背中を追う。何だか大抵はこの構図のような気がする。
ただ、今回は視界の悪い雪山。土地勘を持つ彼とはぐれる事は即ち死を意味する。絶対にはぐれないように、気持ち間隔を短めに場所を取った。特に何も言われないあたり、シキザキの方もひ弱な小娘の面倒を見なければならないという責任感はあるようだ。