3話 あらゆる事情を超越するもの

07.ルグレの意向


 静まり返ったその場で、ルグレもといダウトは蕩々と身の上を語り始める。誰も聞いてはいないが、しかし予想外の状況に誰も止めに入ろうともしない。異質な空気をものともせず、人ならざる者は言葉を紡ぐ。

「実は数十年前にとある信仰者達のお陰で現世に顕現する事が出来まして。その時に居合わせたヒューマンの身体を現在は使っている状況です」
「い……いやいやいや、自分の居場所に戻ろうとは思わないんですか? ダウトさん」
「いいえ? 僕はオクルスがいればそれで良いので、どこへ行こうとも思いません。彼女にとってみれば、僕の生まれ故郷は故郷ではありませんし。現世の方が色々と便利なので当分帰るつもりはありませんねぇ」

 召喚士の身体を乗っ取っている件については自業自得だとしても、まさか白昼堂々神魔の椅子に座す存在が闊歩しているとは。梔子にもこの世界の事情はよく分からないにしろ、それが自然な状態では無いのは一目瞭然だ。
 それに、彼は本当に人間にとって害無き存在と言えるのだろうか。思考回路は明らかに超越者のそれだ。人智を越えた存在であり、こちらの常識など通用しない事だろう。果たして、そんな彼を野放しにしておく事は正しい事なのか。

 悶々と思考を巡らせつつ、更に踏み込んだ質問を試みる。彼が危険な存在であるのならば、ピスキス同様に強制送還しなければならないだろう。尤も、それを無抵抗で行使させて貰えるかは別問題だが。

「さっき、ダウトさんはオクルスさんが居ればそれで良いって言いましたけど……。それはつまり、現世側に何か危害を加えるつもりは一切無いと思って良いんですね?」
「現世が我々の敵に回らなければ。快適に過ごさせて貰っていますし、ね」

 そうか、と何故かダウトの言い分をすんなりと理解した風を見せたのは全く意外な事に鬼人のシキザキだった。あまりにもあっさり彼の言葉を飲み込み、飲み下す。

「貴様も何かと苦労しているようだな」
「おや、貴方の同意を得られるとは思いませんでした。ともかく、僕は彼女が無事で健やかに、安全に過ごせるのなら何だって良いのです。何せ、時間は無限にある」
「オクルスさんも多分、歳とは無縁の存在だから実質本当に時間は無限にありますね……」

 何て贅沢な時間の使い方を心得ている人達だろう。時間に追われる者の気持ちなど露知らずに生きているに違いない。
 ところで、と今までの前置きが終了するかのようにダウトが言葉を区切る。その視線はこちらから、ウエンディへと向けられていた。自然と精霊の背筋も伸びた。

「貴方に財団で保護をしたいと言われてから、昨日1日考えてみたのですが――オクルスの目的の為に、梔子さんの知識は我々には必要不可欠です。という訳で、財団の保護下に入っても構わないという結論に達しました」
「そ、そうか。それは光栄だが……。その件に関してはお前が神魔である事が判明する前に提案した事だ。私達の上司に話をし、それでも財団で受入れると言うのであれば問題無いが、そうでなければこちらから拒否する可能性がある事だけは理解して欲しい」
「そうですか。まあ、そんな事にはならないと思いますが良いでしょう。承知致しました。100年くらいなら付き合っても構いませんし、こちらとしても」
「100年……」

 途方も無い年数だ、と梔子は一人呟いた。100年という時間があったら一体何が出来るだろうか。羨ましい事である。

「では、財団の拠点とやらに同行しましょうか」
「というか、ダウトさん――いや、ルグレさんが一方的にお話してましたけど、オクルスさんはそれで良いんですか?」

 ダウトもといルグレの愛しの君であるオクルスに訊ねる。彼女の意思はそっちのけで話が進んでいるような印象で、そもそもの保護対象であるオクルス自身が同行を拒否したらどうなるのだろうか。
 が、彼女はあっけらかんと首を縦に振る。それはシンプル過ぎる程にシンプルな肯定の意を示す動きだった。

「私も別にいいや。ルグレとの2人旅も良いけれど、基本的には賑やかな方が良いしな。それに、私が梔子に用事があるっていうのも事実。合理的で良い判断だと思うよ」
「あ、そうなんですか……」
「ま、ルグレも言った通り時間はそれこそ腐る程ある。たまには人と同じ歩みで毎日を送るのも悪く無いな」

 ――やっぱりこの人達と人間の思考回路は相容れないのかもしれない。
 時間を湯水の如く使える人外と人間とでは、そもそも立っているステージが違うのだろう。
 ともあれ、今回の仕事はこれで終了だ。今から早速、財団に戻るに違いない。