3話 あらゆる事情を超越するもの

06.藪から龍


「――打って出るようだな」

 ほとんど独り言に近い形でぽつりとシキザキが呟く。どういう意味なのか。力ある言葉を唱えながらも、寄り集まった3人の動向を見守る。

 すると、ルグレが腰から例の変わった剣を抜いた。何故だろう、見ているだけで不安になってくる何とも形容し辛い武器だ。見た目はそう、本当にただの剣だと言うのに。
 と、不意にその抜き放たれた剣からふわりと黒いような紫のような鈍い色をした霧が発生する。頭上で鬼さんが「何だ?」と眉根を寄せたのがよく分かった。

 どうやらピスキスの水鉄砲の標準を狂わせているらしいそれは、発生するや否やウエンディ達を包み隠し、巨大魚が吐き出す殺人級の速度を伴った水の弾丸をあらぬ方向へ受け流す。
 霧が発生しているのは一部分だけなので外しようが無いと思ったが、どうやら目眩まし以外にも何かトリックがあるようだ。魔法で発生させた、特殊な霧なのかもしれない。

 ただ、そんな事よりそれを見ていると非常に嫌な予感が頭をもたげてくる。というか、何かその霧に覚えがある気がするのだ。勘違い、或いは脳の錯覚であって欲しいと思うような覚え。

 ――しかし、どうやらそれを深く考えている暇は無いようだ。
 梔子は残り少なくなった呪文を見、シキザキの腕を引っ張る。戦闘を険しい顔をして見ていた彼は、こちらの意図に気付くと、再度俵担ぎの姿勢を取った。もっと丁寧に運んで欲しいものだ。
 そんな願いは届くはずもなく、鬼人は防御に徹しているウエンディに声を掛ける。

「おい! 一旦そっちに近付くぞ! 防御魔法を張り直せ!」
「ああ! すまない、ルグレ、オクルス。もう一度魔法を頼む」

 ゲストメンバー2人が頷き、再び強固な魔法の壁が築かれた。あまりの分厚さに、うっすら肉眼で確認出来る程だ。何とも頼もしい。
 程なくして、ピスキスの目の前まで戻って来た。
 意気揚々と最後の文言を並べ立てる。目の前の神魔にはそれが分かっているのだろうが、耳障りな奇声を張り上げた。一体何を言っているのかさっぱり分からない。
 ルグレがクツクツと嗤った。

「おやおや、醜い鳴声だ」
「酷い良いようだな、ルグレ」

 オクルスが肩を竦める。仲良し2人の会話を聞き流しながら、梔子はようやっと強制送還の魔法を発動させた。
 現れる巨大な銀の門。それを額縁とし、向こう側の世界が垣間見える。広大過ぎる程に広大な、夜の闇にも似た深海。まるで蛍でも飛んでいるかのように、淡い光を放つ名も知らない生物達が水中を動いているのが見える。
 広すぎて脳が理解を拒絶する、絶対的な深海の世界を前に梔子は完全に動きと呼吸を止めた。その門の向こう側へ行ってしまえば二度と現実へは戻ってこられないだろう。
 その額縁という名の門の中へピスキスが吸い込まれて行く。巨大魚に相応しい、大海原へと還っていった神魔をただ呆然と一時の間見送った。役目を終えた門が、ゆっくりと閉じて行き、そして掻き消える。

「今回も無事任務は終了したようだ」
「それなんですけど、ウエンディさん」

 固い声で梔子は先輩の言葉を否定した。先程からずっと、ルグレについて考えていたが門の向こう側を見た瞬間、何故か思い至った。あの霧の正体は。
 強制送還のページを閉じる事無く、口を開く――ルグレに向かって。

「気を悪くしないで欲しいんですけど、ルグレさん……ダウトの関係者じゃないですか? 優秀な量産型じゃない方の眷属だったり、もしくは……信じたくは無いですけど、ご本人だったり」
「……おや、どうしてそう思うのでしょうか? こんなか弱い見た目をしているというのに」
「あの霧の能力。ダウトの持つ、疑心暗鬼を煽るそれに似ていました。それにその剣、神器ですよね? 自分の爪か何かで鍛えた剣なんかじゃないですか?」

 神器、と言うのは神魔の身体の一部を使って作られた武器の事だ。当然、巷にゴロゴロ転がっている物では無く神話級の一品と言える。
 ふ、とルグレの表情が一瞬だけ無になった。しかし、次の瞬間には出会った当初の胡散臭い笑みを浮かべる。

「そうですか……。まさか、武器から正体が割れるとは思いませんでした。ええ、ご明察の通り、僕の名はダウト。疑心暗鬼を司る神魔です」

 オクルスの「おいおい大丈夫か……」、という呆れたような独り言が静まり返った空気を振動させる。
 ――いや、というか本人!?
 焦りを前面に出さないよう、態とらしい咳払いをしながら思わぬやぶ蛇に思考が止まる。正直、本人では無いだろうなと高をくくっていたばかりに、予想外の答えで戸惑いを隠せない。