3話 あらゆる事情を超越するもの

05.水の脅威


 取り敢えずさ、と口を開いたのはオクルスだ。

「アイツ、見た目からして陸には上がってこないだろ。攻撃してきたら、私達で打ち返せば良いんじゃないの? どうよ、梔子」

 話を振られ、ピスキスのページに目を落とす。強力な水の攻撃を仕掛けて来る神魔で、海中ではまず勝ち目は無いが、陸と海であるのならばどうとでもなる性能だ。当然、神魔なので完全討伐は不可能。
 簡単に――想像しやすく説明すると、水鉄砲のような攻撃をしてくるはずだ。それさえ防げれば、オクルスの言う通りどうにでもなる。
 ただ、その水攻撃は非常に優秀だ。奴も神魔の端くれ。序列はかなり低い方だが、生物に対する絶対的な脅威である事に変わりは無い。数名で壁を張るのが安全で、尤も安定した方法だろう。

「確かに、防げれば問題無いと思います。水鉄砲みたいな攻撃を仕掛けて来ると思いますけど、どうします? 一枚防御くらいなら普通に貫通すると思いますよ」
「何人かで張りましょうか。結界を張れる方はそちらにどのくらいいますか?」

 ルグレの問いに、シキザキが真っ先に「俺は防御結界は張れんぞ」、とあっさりそう応じた。魔法が得意なウエンディは任せろ、とやや意気込んでいる。

 ――と、不意にずいっと海水が減ったような気がした。
 その巨大過ぎる口で海水を吸い込んだのは明白だし、次に何をしようとしているのかもまた明白だ。

「めっちゃ水吐き出してきますよ、多分!!」
「おい、画集を落とすなよ」

 真後ろでシキザキの声が聞こえたと思った瞬間、ふわりと身体が浮く。彼の意図を汲み取った梔子は慌てて命綱である画集をぎゅっと握り締めた。

「そのまま退避しろ、シキザキ!」
「分かっている!」

 ウエンディの言葉に後押しされる形で、人一人を抱えているとは思えない速度のシキザキがあっさり踵を返す。彼女も一緒に逃がしてやろうという気は無いようだ。彼等にはそれなりの信頼関係が形成されているらしく、彼がそう判断したのであれば一撃で即死する事は無いと、そういう事なのかもしれない。
 俵担ぎの状態で、今起ころうとしている惨状を見る。魔法が使えるらしい残された3人の行動は迅速だった。
 三者三様に何か良く分からない文字列をブツブツと並べたかと思うと、3枚の壁が出来上がる。身を寄せ合って壁に収まった仲間達を、最早水鉄砲と呼ぶには凄まじい水流が襲う。

「小娘、これのどこが水鉄砲だ。津波の間違いではないのか?」
「奇遇ですね、鬼さん。私も今まさにそう思っていました」

 砂浜を駆け抜け、道路付近まで撤退したシキザキが目を眇める。ピスキスが吐き出した大量の水は、満ち潮時の砂浜部分を大きく越え、設置されたままのビーチパラソルやビーチバレー用のポールを押し流し、更には絶対に浸水しないはずの海の家にまで到達した。
 水の量というか、勢いにも問題があったのだろう。退避していたシキザキの足首まで水が跳ねる。

「だ、大丈夫かなウエンディさん達……」
「さあな」
「冷たい……」
「貴様は良いから準備をしろ。無駄口を叩いている暇があるのか?」

 ――それもそうだ。
 唐突な鬼人の正論に、梔子は口を閉ざして強制送還のページを開く。一応、視界の中にピスキスは収まっているが、果たしてこれだけ距離が離れていて効果があるのだろうか。
 結構な威力の攻撃だったし、1回で決めないとウエンディ達が厳しいかもしれない。そう考え、面倒を見てくれているシキザキにお願いする。

「私が文言を唱え終わる頃に、近くまで移動して貰って良いですか? 遠すぎるんで、効果が無いかもしれないし」
「チッ。俺にはいつ、貴様の準備が整うか分からんぞ」
「ちゃんと合図しますって。そうしたら、近くまで寄って下さいよ」
「……ああ」

 溜息混じりの了承を勝ち取った梔子は、今度こそ必要な言葉を並べ始める。ここから一切は会話でのコミュニケーションは取れない。彼に接近の合図が伝われば良いのだが。
 それに、濁流に呑込まれてしまった仲間達も気になる。そもそも無事なのだろうか。

 たっぷりと砂浜を水で満たしていたそれが、引いていく。そんな中、ピスキスにかなり近い場所に陣取っていた3人が透明なドーム状の――恐らくは防御魔法だろう――何かの中に身を寄せ合っているのが見える。
 どうやら、範囲的な攻撃だったお陰で、防御壁を突き抜ける程の威力は無かったのだろう。ただやはり、何の変哲も無い人間が今の攻撃をまともに食らっていたら、そのまま死亡していたに違いないが。ウエンディの海水浴場から客を引かせる作戦は大成功だったと言える。