3話 あらゆる事情を超越するもの

04.ピスキス


「――おい、であれば、召喚場所はどこだ? まさか水の中か?」

 静寂を破るようにシキザキがそう訊ねた。理屈はおかしいと思うような顔をしつつも、オクルスは肩を竦めて首を縦に振る。

「まあ、そうなるかな」
「召喚士と言えど、あの集団は普通の人間ばかりだった。長時間、水中にいられるような種は精霊・ウンディーネくらいなものだが?」

 それですけど、と梔子は口を開く。

「ピスキスの加護でも受けてるんじゃないですかね。魚みたいな神魔だし、召喚して貰う手前、失敗はしたくないはず。そのくらいの事をしていても可笑しくはないと思いますよ、鬼さん」
「何でもありか」
「程度にもよりますけど、このくらいなら朝飯前ですって」

 そう。ピスキスに細かな設定は付けていないが、最初の初期設定によると神魔は大抵の事をこなす能力を最初から持っている。行き当たる困難については、ある程度自身で乗り越えられる、たった1体で生存が出来る、そんな神々なのだ。
 その言葉を聞いてウエンディが更に険しい顔をする。

「であれば、万が一見つけられたとしても阻止する手立ては無かったな。私達では水中にいる召喚士をどうこうする事は出来ない」
「本部に戻れば誰か居るだろうがな」
「そんな事をしている暇は、それこそ無いな……」

 などと話をしていると、背筋がぞわりと粟立つ。悪寒に従い、梔子は海面を見た。大きく盛り上がるそれは、まさに巨大な何かが顔を見せようとするその瞬間である。

「おや、ご対面のようですね」

 やけにのんびりとしたルグレの言葉が何故かハッキリと聞こえた。

 波を掻き分け、海を割り、現れたそれに梔子は目を細める。エビメロの時もそうだったが、設定画集に載っているそれそのもの。あの精巧な絵をそのまま現実へ落とし込んだかのように、それは現れた。

 一言で表すのならば巨大な化け物魚。イッカクと呼ばれる動物のような角が1本だけ生えている。勿論、イッカクとは似て非なるものでありその先端は裁縫針のように尖っている。あれだけの鋭さがあれば人間如きを串刺しにするのは容易だろう。
 また、巨大なヒレや尾はその表面が金属のようなもので覆われている。柔らかそうに見える胴体部もまた、ギラギラと日光を受けて輝く強靱な鱗に守られており、とてもではないがどうこう出来るような生き物には見えない。

 と、ピスキスがその口をパックリと開いた。恐らく口内を見せる、という意味合いは無く呼気を吐き出しただけなのだろうが否応なしにゾッとする事実を突きつけられてしまう。

「召喚士を追う必要は無くなったようだぞ、ウエンディ」
「そうらしい」

 暢気にそう言う仲間2人に戦慄しつつも、梔子でさえそれが何なのかを瞬時に理解した。
 リゾート都市にやって来てから散々追っていた黒ローブの召喚士達。それは無残な肉塊と化し、今まさにピスキスの餌として飲込まれようとしている。鋭い歯に引っ掛かったローブが何よりも雄弁に、人間など餌だとしか思っていない事を窺わせる。
 地獄の釜が閉じるかのようにバクンと大魚の口が閉じられた。

「召喚して貰っておいて、用が済んだら餌に早変わりって事ね……」
「神魔にとって、人などそんなものですよ。梔子さん」
「ルグレさん、妙に落ち着いてますね。結構、ショッキングな光景でしたよ。今の」
「魔物に食われるのと、神魔に食われるの。突き詰めて考えれば同じようなものです。そう考えてみれば、人を捕食しているのが神魔である事以外は弱肉強食世界の理を垣間見ているに過ぎません」
「ドライ! ルグレさん、超ドライですね!」

 そうだけれども、と言わざるを得ない言葉に思わず叫ぶ。ルグレは場違いな微笑みを浮かべるばかりだ。成る程、神魔に追われるオクルスと旅を続けているだけはある。肝が据わっているというか、もういっそ考え方が人のそれではない。

 梔子、とウエンディに呼ばれて我に返る。そうだ、今はルグレの軽口というか超越思考に戦慄している場合では無い。

「強制送還してしまおう。どうだ、この距離から魔法の使用は可能だろうか?」
「恐らく、視界に入っていれば出来ると思います」
「了解。では、我々はいつも通り時間稼ぎを。と言っても、奴が陸に上がって来なければする事は特に無いが……」

 言われてみればその通りだ。エビメロの時はどちらも陸にいたので、自分達と神魔を遮るものは何も無かった。しかし、今回は海と陸に分かれている。海水に浸かっているので見えづらいが、ピスキスは陸を自由に歩き回れる体型では無い。
 勿論、絶対に上がって来ないとは言えないし、これだけ近ければ魔法攻撃で危害を加えて来るのは当然ながら可能である訳だが。

 ただ――油断しているのかもしれないが、前回のエビメロ時よりずっと簡単な仕事なのではないかとは思ってしまう。