2話 追加のお仕事

06.罠と追撃


 その術式を見て眉根を寄せる。少なくともそれは、設定画集内に幾つかある術式のどれとも違うものだ。つまり、全く見覚えが無いものであるという事になる。
 梔子にとってはそうであっても、他の現世界人達は知っている術式らしく、舌打ちしたシキザキの言葉で事態を把握する。

「チッ、まんまと嵌められた訳か」
「これは――魔力を自動発生させる類いの術式か。自然的な方法ではないから、魔力の流れが不自然に感じ取れる」

 ウエンディがそう補足する。一方で、好戦的な眼差しをルグレへと向ける鬼人。その目にはありありと猜疑心が浮かんでいた。

「昨日今日で対策されていたとは考え辛いな。随分とここへ来る事を推していたようだが……何か弁明はあるか? 話だけは聞いてやろう」
「まさか。僕達も望みも召喚の阻止ですよ。罠だと分かっていれば、こんな所まで遙々貴方達を連れて来たりなどしませんでした」

 当然とも呼べる答えに対し、やはりこちらも当然ながら納得は出来ない。シキザキは嘲るような、小馬鹿にしたような態度を取っている。彼の中で、現状最も何事か怪しいと感じられる人物はルグレで固定されてしまったようだ。

 しかし、ここで相方であるオクルスが口を挟む。確かにルグレは色々と挙動が怪しい面もあるが、彼女に関しては驚く程の白さ、潔白さがあるのは何故だろうか。

「取り敢えずさ、一度戻ろうよ。こんな所にずっといたってどうしようもないだろ。それに、違ったんなら正しい籠城場所を探さないといけないんじゃないの?」
「そうだな、オクルス。貴方の言う事は正しい。シキザキ、今はその矛を収めろ、収拾が付かなくなる」

 我等がリーダー、ウエンディの言葉はしかしシキザキにも、そしてルグレにも届いてはいなかった。啀み合っていた二人は今し方歩いて来た細い道を見ている。

「足音が聞こえますね」
「そうだな。どうやら、ここへ俺達を誘き寄せるだけが目的では無いらしい」

 2人の会話が終わる頃には、流石の梔子にもその大勢の足音が聞こえてきていた。不自然にべちゃ、べちゃ、と何か水気を含んだ足音。嫌な予感が背筋を駆け抜ける。今迫って来ているのは人間では無いのではないだろうか。

「梔子、下がっていろ。私達が迎え撃つ。通路は狭いから、ここで戦闘する事になるだろう。決して私達より前には出ないでくれ」
「あ。はい。ウエンディさん」

 促されるまま、行き止まりまで下がる。ウエンディとシキザキを筆頭に、ルグレとオクルスもまた相手を迎え撃つ体勢を取った。戦いは不得手と言っていたはずだが、現状では流石に黙って見ている訳にはいかないらしい。

 果たして、現れたのはまさに化け物と形容するに相応しい異形の一団だった。
 見た目は二足歩行のエビ。キラキラと外殻が輝いており、長く伸びた触覚は伊勢エビを思わせるに足るものだ。ギョロッとしたエビそのものの目玉はこちらを見ているような気がする。
 それらの異形が7体。見ただけで理解する。これは――

「ガリダ!! 今回の召喚予定神魔はピスキスです、ウエンディさん!」
「神魔の眷属か。見た事の無い魔物だと思ったよ、全く。眷属がいるという事は、既にその神魔は召喚されているのだろうか?」

 ウエンディのぼやきに答える者はいない。無言でやって来た海の住人達に紛れ、召喚士らしきフードを被った人間のシルエットが数名。狭い場所にぞろぞろと。ご苦労な事だ。
 今回の対戦相手を見たシキザキが溜息を吐く。

「頭の悪そうなエビが相手とはな。ウサギの次はエビか。食い物ばかりだな。生臭くなければ良いが」
「エビ――ガリダはともかく、後ろに控えている召喚士。次こそは捕縛するぞ、シキザキ」
「だそうだ。次は殺すなよ」

 そう言ったシキザキの視線はルグレへと注がれている。対し、ルグレはその言葉をスルーする事にしたようだ。

 戦闘はしなくていい、と早々に避難宣告を受けた梔子はそれらの様子を観察する。これはどういう状況なのだろうか。
 ――と、不意にローブを着た召喚士達がガリダへと頭を下げる。
 成る程、使役している訳では無くあくまで力を借りているという状態か。当然である。ガリダはピスキスの眷属。召喚士とはいえ、人間に従っているはずがない。であれば、召喚士はどうやってガリダに財団の足止めを請うたのだろうか。

 何か見落としがある。今回は本当に人間側のアクションで始まった事柄なのか。
 考察の海に埋もれて行く中、最初に動いたのはガリダの方だった。前衛のシキザキとルグレを完全に無視、後衛に立っているウエンディとオクルスへ一直線に突っ込んで行く。

 予想外の動きに慌てたのはルグレだ。慌てて振り返り、横を通り抜けて行ったガリダを追う。陸地だというのに意外と素早い動きのエビは精霊すら素通りし、オクルスへと向かって行った。
 狙われているのはオクルスだ。それが戦闘に疎い自分にでも分かったのだから、現場に立っている者は皆、そう気付いた事だろう。

 シキザキが素早く更にオクルスへと向かって行こうとしたガリダを一刀に斬り伏せる。何かヘドロのような色をした、血液のようなものが辺りに散らばった。鬼人の懸念通り、かなり生臭い。端的に不快な臭いだ。