13.ジリ貧攻防戦
先に動いたのはエビメロの方だった。どうやら設定画集が気になっていたようで、動きが鈍かったようだ。
ようやっと、目の前に人間以上に養分となる2人組が居る事に気付く。カミサマと言うのは余裕の塊のようなもので、大抵の場合、油断をしているものだ。
飾りの鹿部分が静かなる双眸をウエンディへ向ける。対し、ウエンディは既に何らかの魔法を作成し始めていた。手には先程、眷属達と戦った時にも見たレイピアを装備している。
「オーレリア、私は光を放つ光源用の魔法を常時キープしておく。危険を察知したら、合図無く使うから頼んだぞ」
「アタシも強い光、苦手なのよね……」
「死ぬよりマシさ」
話が終わるのを待っていたのか、単純に出方を窺っていたのか。丁度、会話が途切れたタイミングでエビメロが攻撃行動を開始した。
鳴声は鹿。ビニールの浮き輪を擦り合わせたような声を上げる。これは多分、何らかの魔法の詠唱だ。
チカッ、と網膜を焼くような光が瞬きの一瞬だけ見えた。
すぐ目の前でガラスが粉々に砕けるような音。何が起きたのか理解が追い付かなかったが、数秒程で何がどうなったのか分かった。
エビメロが放った魔法により、梔子が自身で張っていた防御魔法が粉々に砕け散ったのだ。もし、今この魔法が無かったら、まず間違いなく大怪我では済まない事態になっていただろう。
背筋が凍る思いをしつつ、更に読み上げの速度を上げる。このままでは命が幾つあっても足りない。
「だ、大丈夫、梔子!?」
引き攣ったオーレリアの問い掛けに、片手を挙げる事で応じる。本体は大丈夫だった。防御魔法はご臨終したが。
「見た事の無い魔法だったな……! 梔子、私が君の周りに防御魔法を張り直す、気にせず続けてくれ。そして、オーレリア。悪いが両手が塞がる、一時凌いでくれ」
「ええ、了解!」
心配させまいと冷静に振る舞っているが、ウエンディの表情は芳しくない。というか、顔色が悪い。自分自身の身の危険も当然覚えているが、シルフの心労もかなり心配である。
更に何気に一人で足止めを命じられたオーレリアは、手にしたクレイモアでじりじりとエビメロから一定の距離を取りつつ間合いを図っている。
――と、再びエビメロが動いた。
次は少しばかり長い詠唱。またも、動物である鹿の鳴声を響かせる。次の魔法、これは多分『パルス』だ。任意の足下に毒の沼を作る、設定画集の中でも発動が面倒臭い魔法。
怖々とオーレリアを観察する。彼女の意識は当然ながら、足下には向けられていない。まずい、吸血鬼の耐久がどのくらいあるのかは知らないが毒沼の魔法は踏んだら一発退場の可能性がある。
仕方無く、自分に向けて防御魔法を張り直してくれているウエンディにゼスチャーで伝える。発動まで、もうあまり時間が無い。頻りに足下を指さし、次にオーレリアを指さす。
「な、何だ? 足下の事を言っているのか?」
危険があると伝えたいのを察知してくれたウエンディが、背後のオーレリアを振り返り、短く用件を伝える。
「オーレリア、足下に注意しろ!」
「足下――あっ! あ、ありがとう!」
軽快なステップで魔法の範囲外に逃れた吸血鬼。それを見てやや安堵する。危うく仲間の足が溶け崩れる場面に遭遇するところだった。
「よし、張り直した。また消えた頃に戻る」
軽く手を振ったウエンディが離れて行く。
それとほぼ同時、オーレリアと対峙していたエビメロが、大きく頭を振った。何てことない、見た目だけは動物が濡れた身体を震わせるような動き。
しかし、それと同時にエビメロの足下の影が蠢き始めた。鹿部分はその場に座り込む。動かす部位を変えたのだとすぐに理解出来た。
爛々と輝く目玉のようなものが、影から覗いている。そのおぞましさに顔を引き攣らせていると、ここぞとばかりにウエンディがずっとキープしていた小さな魔法式を起動させた。
まるで閃光弾。一瞬の内に弾けた術式は今日二度目となる強い光で、やはり網膜を焼いた。
攻撃に転じようとしていたエビメロの影が光を受けて一瞬だけ掻き消える。光が収まる頃には、再び鹿の足下にまで影は戻っていた。それを見てウエンディが苦しそうな顔をする。
「成る程。迫って来ていた影を、自然的に存在する影の範囲に戻す事は可能なのか。ジリ貧だな。また光源の魔法を組んでいる内に伸びて来るのか、あの影が」
「あまり気は乗らないけれど、術式を作っている間にあの世行きね。アタシも、光魔法作ろうかしら。相性は悪いけれど」
「……頼む。しかし、そろそろ梔子の方も終わるのでは?」
「発動するかは分からないのよ。用心に越したことは無いわ」
「そうだったな」
2人の言葉は尤もだったが、そうこうしている内にこの長すぎる魔法の形成が終わった。久しぶりに良く分からない文字列以外の言葉を口走る。
「ウエンディさん、終わりました! 取り敢えず発動させてみます」
「ああ! 頼んだ!」
対神魔用の魔法だ。それ以外の何かを巻き込む事は無い。梔子は意気揚々と、最後の文字列、発動に必要な文言を組み立てた。