3話 繁栄する町

12.繁栄の神


 ***

 囮組が派手に暴れてくれているお陰だろうか。その後、残りの眷属達に出会う事は無く、気付けば町長の邸宅に到着していた。無駄に気を張っていたせいで、肩凝りが酷い。

 そんな梔子は、鍵が壊れている邸宅の玄関ドアを開け、思わず呟いた。

「えっ。随分と開放的なお宅だなあ」
「同感ねえ。隙間風が酷いでしょうね、これでは」
「隙間風どころの騒ぎじゃ無さそうだが」

 驚くべき事に。正面から見た時には気付かなかったが、邸宅の屋根は綺麗に吹き飛んでいた。外から内側に崩れているのではなく、内側から何かが爆発でもしたかのような吹き飛び方。家なので壁で部屋を仕切っているはずだが、その仕切り壁も見事に消え失せている。何をしたらこんな事になると言うのか。
 しかも、神魔騒動が始まってそんなに時間は経っていないと言うのに、建物には既に自然からの浸食が始まっている。緑の苔やツタが、至る所に散見された。
 天井は無いので柔らかな夕陽が室内に入り込み、退廃的で神秘的な空間が出来上がっている。人工物と自然のコントラスト。人類が居なくなった後の世界を連想させる怖気に似た美しさに息を呑んだ。

「――例のエビメロの姿は……無い、のか?」

 ここに来て少しばかり緊張感を滲ませたウエンディが訊ねる。確かにざっと見た限り、カミサマの姿は無い。無いのだが、半ば確信していた。ここに神が居ないのであれば、この町のどこにもそれは居ないであろうという事を。
 斯くして、予想は見事に的中する。
 呼ばれた事を察知したのか、建物を上から見た場合の丁度、中心地点。部屋を仕切る為の壁は無いので、ただの広い空間であるそこ。

「――あ」

 短く声を上げたのは誰だっただろう。
 黒い影のような物が何も無い場所に広がり、瞬く間に形を形成。ようやくカミサマと対峙する事と相成った。

 ベースは鹿。立派に枝分かれした2本の角が生えている。その身体には様々な植物のツタが巻き付き、実と花、葉を付けて凜然と咲き誇っており、サイズはかなり大きめ。通常の牡鹿より倍くらいのサイズがある。
 更に足下の影から何か爛々とした大量の目のような物が無数に覗いているのが非常に不気味だ。

 鹿がそうするよう、上品に座っていたそれ――エビメロがゆっくりと立ち上がる。ただならない威圧感と、形の無い不安。変な汗が背筋を伝うのが生々しく感じられる。
 ただ、不気味でありがらも禍々しさのようなものは感じられない。
 神魔の種類はかなり大まかに分けてしまうと2種に別れる。ニュートラルの妹と弟、それぞれ秩序と混沌を司る序列3位の彼等の、どちらに属する神魔であるかだ。エビメロは意外にも秩序側の神魔なので、恐ろしい神聖さは覚えるが、全てを呑込む狂気的な何かは感じ取れない。

「――梔子。作戦を開始しよう。言わなくても分かるだろうが、失敗すれば私達に待ち受けるのは死のみ。失敗は許されない」

 淡々と言いつつもかなりの緊張感を醸し出しているウエンディに頷きのみで返す。設定画集を持っているので、こういう神魔である事は織り込み済みだったはず。なのに、威圧感に押されて上手く身動きが取れない。
 頭が上手く回転していない事を悟ったのか、オーレリアが無理矢理明るい口調で訊ねてくる。

「それで、アタシ達は足止めをしておく訳だけれど……。何か注意する事はある?」
「え、あ、えーっと、エビメロは影が本体です。一番に注意しなきゃいけないのは、影で、捕まったら養分にされるので気を付けて下さい」
「影ね、影」
「でも、鹿の方もかなり力持ちです。後ろ蹴りをまともに食らったら内蔵どころか胴体ごと吹き飛ぶ事になりかねないので、そっちも注意して下さい」

 というか、およそカミサマと言うのは無敵だ。倒す事は出来ない。下手を打てば即死。注意なんて全てにしろと言いざるを得ない。どんな攻撃でも、当たれば致命傷となる事を忘れないで欲しい。

「梔子、弱点はどうだ?」
「そんなものありませんけど、影には強い光を当てれば即死攻撃を1回くらいは防げると思います」
「やはり、倒す方法は無いのか?」
「ありません。それしかないのなら、もう、逃げるしか」
「そうか。分かった。では、手筈通り頼む」

 そう言ったウエンディは前へと出て行った。慌ててオーレリアがそれに続く。恐らく、カミサマ相手に本能的な恐怖を覚えていたのは2人とも同じだろうに、表面上は臆する事無く駆けて行った。
 呆然とその様子を見送り、ややあって我に返る。そうだ、こちらはこちらで強制送還用の魔法を試用するという重大な役目があるのだった。
 ページを開き、長ったらしいそれを読み上げ始める。なかなかに長い。

 ちら、と神魔へ向かって行った2人の様子を観察する。時間稼ぎをする約束なので、攻撃は仕掛けず、じりじりと睨み合いをすているようだ。とはいえ、エビメロの方は「何だこの人間共」などと思っているだけかもしれないが。