3話 繁栄する町

06.ランプが写し出す影・上


 ***

 梔子の後に続き、宿の1階に下りて来た。彼女の足取りは迷い無く、淀みも無い。
 そして気付く。草木も眠る丑三つ時、そんな時間帯であるにも関わらず宿の従業員達はまだ働いていた。まるで昼間であるかのように、大勢の運営者が行き来しているのが伺える。

 それをうんざりとした心持ちで見つめている間にも、梔子は足を止めない。行き先が分かっているかのような足取りで、彼女はキッチンへと入って行った。足早にその背を追う。
 案の定、キッチンにも当然のように従業員がいた。梔子を見つけて、すこし驚いたような顔をした女性が駆け寄ってくる。

「こんな時間にどうされましたか?」

 ――これは……変な事を口走れば、何をしてくるか分からんな。
 女性のまとう微かな緊張感。追い詰められた小動物と相対した時のような空気に、シキザキは僅かに顔を顰める。
 ただし、これはあの小娘が始めた事だ。当然ながらそれを教えてやる義理は無い。高みの見物を決め込むように、黙って腕を組み事の成り行きを見守る。

 そんな緊張感など物ともせず、梔子は淡々と用件を告げた。あまりにも堂々としているので、違和感が無い。

「すいません、ちょっと小腹が空いてきちゃって。何か夜食とか、あと水もありませんか?」
「え、あ、ああ! そうでしたか。かしこまりました、すぐに用意致しますので少々お待ち下さい」

 快く頷いた女性はその場で待機を命じると、素早くキッチンの奥へ入って行った。その背が見えなくなってから、梔子が呟く。

「追いかけましょう」
「何かあるとは思えんがな」

 跳ねるように走って行く背中をゆったりと追いかける。
 あれだけフロアには従業員がいたというのに、キッチンの最奥は意外にも無人だ。それに、夜食を用意すると言った女の姿も無い。裏口が開いているのが見える。あそこから出て行ったのだろうか。

「外があるみたいですね。もっと追いかけましょう」
「おい。何を考えている。あの女を追う事に意味があるのか?」
「どこへ行こうとあまり関係は無いのですが、出来れば――」

 何事かを言いかけた梔子が裏口から外に出、そして足を止めた。深夜なのだから、外は恐ろしく暗い。夜目が比較的利くシキザキには、外廊下の奥に倉庫にも似た建物がハッキリと見えているが、それは彼女にも見えているのだろうか。

「おい、出来れば、何だ」
「――真っ暗ですね。運は私の味方みたいです。でも、さっきの人はどこに……」
「正面にある倉庫の中だろうよ。で? 暗いと何が良い?」
「私は彼女の影を確認したいんですよ。機会が来るまで従業員さん達にちょっかいを出し続けようと思ってましたけど、運が良い。1回目で当たりだなんて」

 かなり行き当たりばったりな計画だったらしい。確実性が無いから、別の面子を誘わなかったのだろうか。

「この辺にランプとかありませんか? 私、暗くてよく見えないんですけど」
「ランプならば、倉庫の前に火が消えた物がさがっている」
「あ、ホントですか。ちょっと案内してもらっても?」
「チッ……」

 覚束ない足取りの人間を背に置き、倉庫まで突き進む。本当にヒューマンと言うのは脆弱な生き物だ。
 程なくして倉庫の入り口に辿り着いた。とはいえ、そんなに大層な物では無く、物置とも言えるサイズ感だ。
 梔子の願い通り、ランプを手に取る――

「……!」
「わっ、吃驚した! あれ、鬼さんもまさか驚いてる?」

 手に触れた瞬間、独りでに火が付いた。そういう魔法でも掛けていたのかもしれないが、全く心の準備をしていなかったので少しばかり驚いてしまった。火が付いた事により、梔子が目聡く指摘してくる。

「チッ、これでいいのか。貴様が持て」
「はーい。火は一度消しますよ」
「そのまましておけば良いだろうが。それに何の意味がある」

 訊ねつつも梔子が火を吹き消してしまったので、仕方無く魔法を使用して再度火を付ける。問い掛けに対し、彼女からの返事は無かった。代わりに「しーっ」、とゼスチャーで返される。
 唇に当てていた人差し指で、彼女は倉庫の入り口を指さした。黙れ、という事か。

 抜き足差し足、梔子はそうっと倉庫の入り口を越え、中に入る。こんなにも暗いと言うのに、倉庫の中もまた真っ暗だった。室内を梔子がランプで照らし出す。

「わっ!? どっ、どうされました!?」

 倉庫の中で作業をしていた女が弾かれたようにこちらを振り返る。先程、梔子が影がどうのと言っていたので何とはなしに女の影を確認。シキザキは僅かに目を見開いた。

 その影は明らかにヒューマンのそれではなかったからだ。
 女自身はどこからどう見てもヒューマンで相違ないが、目に見えている女のパーツには無いパーツが影にある。頭の天辺から伸びた、細長い耳。兎のような耳だ。それが影にのみ映り込んでいる。

 女の問いに対する、落ち着ききった梔子の応答で我に返った。

「明かりを届けて欲しいと、宿の従業員さんに頼まれて来ました」
「そう、でしたか……」
「はい、どうぞ。面倒をおかけしてすいません」

 とんだ二枚舌の小娘は言いながらランプを手渡――す、前に。そのランプを自然な動作で床に落とした。転がったランプは石畳に叩き付けられ、乾いた音を立てる。更に中の火があっさりと消えてしまった。
 素早い動きで屈んだ女がランプを取り、迅速に火を付ける。

「……これは……」

 次に写し出された影はヒューマンのシルエットそのものだった。耳のようなものはない。その意味を考えている間に、夜食と水を手に入れた梔子が踵を返した。思考を一旦打ち切り、その後を追う。

「ありがとうございました、お疲れ様です」
「いえいえ」

 にこやかに手を振る女を尻目に倉庫を後にした。