3話 繁栄する町

05.深夜の足音


 ***

 ひたひたひた、廊下をこっそりと歩くヒューマンであれば聞き逃してしまうような物音と、コソコソと緊張感を迸らせたような張り詰めた空気でシキザキはゆっくりと目蓋を持ち上げた。
 危険な場所である事が分かっていたので深く眠ってはいなかったし、あんなに気配を隠すのが下手なら、例え熟睡していても目が覚めてしまっていただろう。

 真っ暗な部屋の中、時計を見る。午前2時。良い時間帯だ。
 外を這い回るコソ泥に今が何時か教えてやろう。人の安眠を妨害したのだ、それで済めば御の字だと思ってもらいたい。

 本当の意味で抜き足差し足。ベッドの横に立て掛けてあった、自身の得物を手に取ったシキザキは軽やかに廊下と自室を繋ぐドアの前まで移動する。
 ひた、ひた、ひたひた。
 これは一丁前に靴を脱いでいるのだろうか。裸足で廊下を徘徊する足音に眉根を寄せる。その足音の主が、丁度自室の前を差掛かった――

 瞬間、素早くドアを開け、歩いていた人物の腕を乱暴に掴む。ぎょっとしたような動きをしたその人の顎を掴み、右手で口元を押さえ込んだ。くぐもった悲鳴。
 それを物ともせずシキザキは捕まえた怪しい人物をそのまま自室へ引き摺り込んだ。

「さて、その顔を拝んで――……ん?」

 引き攣った顔をし、目を見開いているその顔は非常に見覚えがあった。目立つ大きめの本を肩掛けバッグにしまい込んだ、新入りのヒューマン、梔子だ。
 途端に興味を失ったシキザキは拘束を解き、盛大な溜息を吐く。

「貴様、何をしている」
「いやこっちの台詞なんですけど。鮮やかな誘拐の手口でしたね、鬼さん。タイミングが悪かったら、私の腕の関節は逆方向に曲がっていましたよ」
「コソコソと徘徊するのが悪い。用心という言葉を知らんのか」

 淡々とそう言い放った梔子だったが、その口調には僅かな怒りが滲んでいる。負い目があるのか、それ以上の文句は言って来なかったが。
 ちら、と小娘の格好を視界に入れる。
 非常に部屋着。今からベッドに入って眠ります、とそう言われてもしっくりくる格好に不釣り合いな設定画集を入れる為のバッグを肩から掛けている。

「……小娘、貴様、何をしていた?」
「ちょっと気になる事があったので、調べに行こうかと。寝ちゃ駄目だって、ウエンディさんが言ってたじゃないですか。何もしないでいたら爆睡してしまいますから」
「で? 考えた結果が深夜徘徊か。頭がどうかしているな」
「いやいや、鬼さん程じゃないですよ」

 ――行動が大胆過ぎる。
 それ以前に、ノーマンもこの娘を野放しにし過ぎだとそう思う。今の所、神魔への具体的な対抗策、生きた解読書である梔子をこんな任務に赴かせて良いのか。彼女を現地へ送り込むより、あの理解不能な文字の解読方法を模索した方が余程建設的だ。
 いや、行動が大胆とそう称したがこの口調だとウエンディかオーレリアと待ち合わせをしている可能性もある。

「おい、誰がこんな深夜に調べ物をすると考案したのか言え」
「誰って、私が自分で考えて動いてますけど。鬼さん、今何時か知ってます? 午前2時ですよ。みんな部屋でゆっくりしてる時間ですって」
「貴様……間抜けなのか? 一人でこの時間帯に調査? 良いご身分だな、雑魚ヒューマンの分際で」
「まあ、否定はしません。ただ、私のこれは――所謂、趣味ですから」

 何のことだかさっぱりだったが、特に興味も無かったので聞き流した。それより、退屈していたところだ。いっそ、この小娘に着いていって何をするつもりなのか観察してみるのも悪く無い。

「小娘、丁度俺も退屈していたところだ。調査とやらに同行してやろう」
「どうしたんですか急に。でもまあ、その方が安全でしょうね。お願いします」

 存外あっさりそう言った梔子がドアの方を見る。そろそろ動くぞ、という事らしい。

「あ、そうだ。鬼さん」
「あ?」
「それ、その武器。置いて行って下さい。血生臭い事をするつもりはこれっぽっちも無いので」
「はあ? 襲撃でもされたらどうするつもりだ」
「そんな事にはならないと思いますけど、あなたがそれを持って行ったら逆に襲われる可能性があるでしょう、普通に考えて」
「返り討ちにすればいい」
「武器を置いて行けないなら、私、一人で行きますよ。元々そのつもりだったし」

 意外と頑固。
 舌打ちしたシキザキは得物を元の場所に立て掛けた。小娘側に譲る意思が全く見られない上、今回の行動の主導権を握っているのは彼女の方だ。これ以上の押し問答は不利。

「じゃ、行きましょうか。鬼さんにとっては別に面白い事では無いと思いますけどね」