08.模擬戦・下
最高に苛々しているシキザキはしかし、苛ついているのがデフォルトの男だ。苛つくと同時に冷静に物を考えたのか、しっかり型に嵌った動きを取り始めた。
流石、戦闘においては使える鬼人。小娘相手に苛つきで足の浮いた攻撃を繰り出したりはしない。どのみち、あの木刀が梔子に触れた時点で彼女はボールのように吹き飛ばされ、勝負が決するだろう。
一見、梔子が押しているように見えるが、それは見えるだけの話。ヒューマンよりずっと力の強い鬼人の武器を持った攻撃に晒されれば、それで決着する。
「その前に割って入って止める必要があるな」
「えっ、急に何の話よ、ウエンディ?」
動きが逆に冷静なそれへと変わった事に、果たしてド素人の娘は気付いたのだろうか。僅かに首を傾げているので、変化があった事には気付いているようだ。ウエンディはその様子を脳内のメモ帳に書き留める。
肉薄するシキザキを前に、梔子は立ち止まったままだ。その表情から考えは伺い知れない。ただ、あまりにも動きが無いせいか、上段から下段へ木刀を振り下ろそうとしていたシキザキが寸前でその手を止める。
パチパチ、と瞬きを繰り返したヒューマンは輝く笑みを浮かべた。
「どうしたんですか! さあさあ、掛かって来て下さい!」
「……。いや、読めてきたな。貴様、何か小細工してるだろう。小賢しい事だ」
「まさか、そんな事ないですって〜!」
陽気にそう言う梔子は近付いて来たシキザキに手の平を向ける。あれは多分癖だ。とはいえ、力の軌道を無駄なく制御するには正しい方法だが。
梔子が何事か魔法を唱える前に、シキザキが動いた。そのよく回る口を塞ぐ勢いで木刀を振り抜く。横薙ぎの軌道はしかし、梔子の回りに展開されていた不可視のドームによって阻まれた。
防御魔法である事は火を見るよりも明らかだが、攻撃を防がれた側のシキザキがよろめく。強い力で押されたような様子だったと言えばそれが正しい。
結構な破壊的な音がしたと思えば、シキザキの持っていた木刀がご臨終していた。真ん中から無残にへし折れている。それを見た鬼は合点がいったように薄く笑みを浮かべた。
「成る程な。俺が振るった力を、そのまま俺に返したのか。見た事の無い魔法だ。が、1枚で消えてしまう物をよく最前線で使う気になったな……。もしやアホなのか?」
使い物にならなくなった木刀を投げ捨てたシキザキは手の甲で梔子が持っていた設定画集を弾いた。それは背表紙から床に投げ出されて盛大な音を立てる。
次の瞬間、シキザキが華麗に梔子の足を掛け、盛大に床に転がした。
「いたっ!」
「ふん、所詮は雑魚だったな小娘」
それ以上の追撃をされないようにか、オーレリアが駆け出して行く。そのまま転んだ梔子を助け起こした。吸血鬼の彼女はとても面倒見が良い。兄弟が居たとかで、自分よりもずっと歳下の梔子を妹のように思い始めている節がある。
「大丈夫? どこも怪我はしていないかしら、梔子」
「はい、大丈夫です」
へへ、と笑みを溢したヒューマンに対しシキザキは眉間に皺を寄せた。
「気に入らんな。ヘラヘラと……何がそんなに楽しいのか」
溜息一つ吐いたシキザキがその場から離脱する。試合後の馴れ合いは、殺し合いに精通している彼にとってみれば価値のないものなのだろう。
そんな鬼人にウエンディは声を掛けた。
「怪我をさせるかと思ったぞ」
「ハッ! 気に入らんだけで、陰湿な虐めなぞするか。馬鹿馬鹿しい」
「そうか。ならいい」
――とは言っても、任務中に率先して梔子を助ける事は無いだろうな……。
考え込みながらも、更にシキザキへと訊ねる。
「なかなか大胆な子だ。彼女の何が気に入らないんだ?」
「苦労を知らん、小綺麗な小娘の何が良いのかも分からんな。存在が既に癪に障る」
「……ああ、そういえばそうだったな」
彼は育ちの良い者を嫌煙する癖がある。そして、育ちの良い者の定義に当て嵌まる存在もまた、血生臭い彼とは相容れないだろう。水と油なのだ。それに、梔子の性格が当て嵌まるのかは定かでは無いが。
そのまま鍛錬場から出て行く後ろ姿を見送る。今日はよく付き合ってくれた方だ、これ以上引き留めては悪いだろう。ウエンディはシキザキの背を黙って見送った。