2話 フラリス財団の愉快な仲間達

05.第三者の目


 楽しそうな梔子を一瞬だけ眺め回していたトウキンが、自然な流れで新たな話題を口にする。

「ところで、実はノーマン殿から別の用事を仰せつかっておりまして。お付き合い頂けますかな、梔子さん」
「私ですか?」
「ええ。いくらヒューマンと言えど、貴方もSSクラスに配属された者。流石に全く無力ではどうしようもありません。身を守る方法だけでも教えろと命じられておりましてね」
「へえ! 面白そうですね、ファンタジーの醍醐味ってやつです!」
「本を読まれるのですか」
「何でも読みますよ。暇な時間だけはありましたからね」

 そう言うと梔子はやや遠い目をした。トウキンが薄ら笑みを浮かべる。

「それはそれは。物覚えが良い事を期待していますよ」

 おい、とここに来て提案の意味を理解し始めたウエンディは堪らず口を挟む。トウキンがわざわざ面倒臭い嘘を吐いているとは思えないが、今の一連の会話では色々と不明点が多い。

「まさか、今からここでやるのか?」
「魔法とか憧れますよね」

 武器を握る気はさらさら無いらしい梔子の弾んだ声が耳朶を打つ。本人はやる気満々だ。しかも、彼女が余計な言葉を発した事で当惑していたシキザキが我に返った。

「アホらし……。貴様等がギャーギャーと騒ぐのならば、俺は自室に戻るぞ」
「ちょっと鬼さん! 私がいかに役立つか見ていくべきでしょう!」
「は? いや、小娘……。貴様、まるで魔法など扱った事が無いという口振りだっただろうが。どこからそんな自信が??」

 シキザキは困惑している。しかも完全に我を忘れた偽りの無い疑問顔だ。そして更に混乱させるかのように、いやに自信満々に胸を張るヒューマン・梔子。

「大丈夫、きっと多分、割と絶対に使えると思います」
「ほう……」

 離脱しかけていたシキザキがその足を止めた。暇つぶし程度の何かを見つけたような、僅かに興味のあるものを見つけたような顔にウエンディはうんざりと溜息を吐く。今、確実に何か面倒事の種が着々と育っていっている。

「やれるものならば、やってみろ」
「ふっふっふ、言いましたね」

 ――シキザキはともかく、梔子は案外シキザキのような相手が良いのかもしれない。
 先程、梔子に対して割と好印象を抱いていたはずなのだが、それが揺らぎ始めている。自分は彼女の全く表面だけを撫でて、あんな血迷った感情を抱いたのではないかと。彼女は善良な人間である、という根拠の無い錯覚に囚われていたかのような不安が膨れ上がる。

 梔子少女の人間性はともかくとして、一先ず行き当たりばったりに『出来る』などと宣った訳では無いのだと分かったのはその後すぐだった。

 肩掛けバッグの中に収納された設定画集を取り出した梔子が、画集後半のページを一息に開く。そのまま、ペラペラとページを2枚程めくった。
 誇らしげにその開いたページを示している。
 遠巻きに眺めてみたが、見開きのページにはウエンディもよく使用する術式に似た何かが描かれていた。ただし、周囲に書かれている重要そうな文字は、案の定読めなかったが。

 それを指し示した梔子は急に考察を披露するかのように、テンションを潜めて淡々と言葉を紡ぎ始めた。

「まあ、真面目な話。この画集に書かれている何かが実在するのなら、このページも使えるって事になりませんか? 試してみる価値はあると思いますけど」
「成る程ね。テキトー言ってた訳じゃ無いのね、梔子」

 オーレリアが感心したように頷く。
 一方で教育係を命じられていたトウキンは試してみる、という梔子の言葉にあっさりと理解を示した。

「吃驚する程何が書かれているのか理解出来ませんが、術式の構造的には使用可能であると思われます。とはいえ、見た事の無い術式ですが。所々、節がおかしい。何より、意味の無い羅列が混ざっている――ようにも見えますね」
「トウキン。それは、魔法を使った事が無いド素人の梔子にどうこう出来るものなのか?」
「さあ、やってみなければ何とも。どうなんです、梔子さん」

 それなんですけど、と梔子は緩く首を振る。肯定なのか否定なのかは判断しかねた。

「この画集って最初の3ページに初期設定の壁があるんですよね。それで、後半の魔法ページは『文字が読めれば発動可』っていうトキメキの文言があるんですよ」
「さっきから思っていたのですが、名称は『設定画集』なんですよね? 物語を作る上での設定メモのようなものが物理的な力を持っているのは可笑しいと思うのですが」

 それはさっきから誰もが薄く考えていた事だろう。恐らくは所持者である梔子自身も。
 現実を生きる者は現実を越えた、所謂『第三者の目』を持つ事が出来ない。設定画集とは現実の向こう側に存在しているべき物の筆頭で、その設定が今この瞬間の現実に対する設定であるのならば。現実を生きる「私達」が画集を認識している事そのものが既に狂っているのだ。
 しかしこの、解決し得ない問題に対し所有者はどこまでもドライだった。

「それは私にも全く意味が分かりません。この世界に居るのかは分かりませんが、最初にこの画集を私へ持たせた人にでも聞くしかないでしょうね」
「おや? 気になりませんか、原理」
「気にはなります。が、考えても解決しない事が既に分かっている事を考えるのは時間の無駄です。こんな状況だし、このまま道なりに進んでいけばその内分かる事じゃないでしょうか」
「成る程、合理的ですね」

 おい、と不機嫌そうなシキザキの唸り声が響く。

「いいから早くしろ。いつまで待たせる気だ」