04.言語の壁
一通り話を聞き終わったノーマンはまるで全てを理解したかのように深く頷いた。頼もしい限りだ。
「――ところで、先程から気になっていたのですが、その嵩張りそうな本はどうしたんです？」
ノーマンが設定画集を指さしながら訊ねた。置いておけばいいのに、と顔に書いてあるし、同時に目覚めた直後の事を話し忘れた事にも気付く。いけないいけない、割と重要な部分をすっぱり省いてしまった。
「あ、これは設定画集って言ってそもそも私の持ち物なんです。最初に起きた場所にあって、私物だし置いておくのも気持ちが悪いので持ち歩いていました」
「そうだったんですね」
ちょっと待て、とここまでずっと無言だった彼女が口を開く。ノーマンからちらっと聞いた話によると、彼女の名前はウエンディと言うらしい。
そんなウエンディは僅かに首を横に振りながら、用件を切り出した。
「設定とは何の？」
「うーん、掻摘まんで説明するのが難しいんですけど、趣味の延長上で。私、暇な時間が結構あったので、イラストに面白い設定を考えるアルバイトをしていたんですよね」
「バイト。イラストに設定を付ける？」
「はい。このイラスト集を作った人が怪物系イラストを作る専門？ の、人らしくて。でも絵を描くのは好きだけれど、設定を作るのが苦手なので怪物に付随する設定を考えるアルバイトとして私を雇っていたんですよ」
ウエンディは納得したのかしていないのか分からない表情のまま、口を閉ざした。興味を失った訳では無いようだが、これ以上の質問を控えたような釈然としない態度だ。
しかし、梔子としてもこれ以上の説明は難しかった。
というのも、アルバイト料を貰ってはいたが、何故この設定画集の怪物達にバトル漫画系の能力を考えて欲しいと言われたのかはさっぱり分からないからだ。楽しかったので追求はしなかったが、こんな大仕事を見ず知らずの女子高生に頼むのも謎だし。
しかし、一つだけ言える事がある。
頼まれた設定の大まかな背景は『カミサマみたいな力を持つ、人知を越えた化け物にして欲しい』だった。最初は匙加減が分からず、スケールが小さすぎて何度も却下を食らったのは記憶に新しい。
「怪物だの何だの言われると気になってしまいますね……。ちょっとだけ中を見せて貰っても良いですか？ 純粋な好奇心で悪いんですけど」
「どうぞどうぞ。何だか照れますね、こういうの」
言うまでも無く、設定画集の中身は全て日本語だ。ただ、このイラストを作成した人物が怪物の名前をローマ字だか何だかで書いてしまったせいで、怪物の名前はアルファベット表記とはなっているが。
案の定、明らかに日本人では無さそうなノーマンは目を閉じ首を横に振った。
「私には読めませんね。というか、この場に居る誰にも読めないような字だ。君、どこから来たんですか？」
「や、普通に日本からですけど。そんな事言ったらノーマンさんだって、日本語ペラペラじゃないですか」
「私が喋っているのは共通語です」
――何か認識の齟齬があるなあ……。
いや、深く突き詰めるのはよそう。言語が違って話がまるで通じないのは問題だが、会話が成立しているのであれば問題では無い。だからさっきの言葉は無かった事にしよう。
梔子は今聞いた言葉を脳から抹消した。代わり、黙っている鬼さん事シキザキに話を振る。
「鬼さんなら読めるんじゃないですか？ 私と同郷っぽいですし」
「え、そうなんですか？」
訝しげな顔をしながらノーマンがシキザキへと設定画集を渡す。酷く面倒臭そうな顔をした鬼はしかし、それを受け取ると一応は目を落とした。意外に律儀。
が、次の瞬間にシキザキは舌打ちして設定画集を放った。隣に居たウエンディがそれを片手でがっしりとキャッチする。反射神経凄いな。
「読めん」
「えっ、でも左前の話とか、神社ネタとか分かってましたよね？ 鬼さん」
「知るか。貴様の字が汚いだけではないのか」
「私は書道初段まで取ってます」
古典とかで見るウネウネした字しか読めないのかもしれない。ウエンディから渡された設定画集を受け取りながら漠然とそう思った。それなら納得だ。
「梔子、君はこの文字が読めるんですね？」
「読めるも何も……。普通に読めるし、書けます」
ノーマンが腕を組んで何事かを考え始める。
「うーん、実に興味深い話ですね。是非とも詳しく聞きたいものだ。ここから出られたら、話を聞かせて頂けますか？」
「それは良いですけど……」
「勿論、報酬は弾みます。私達はフラリス財団所属ですから」
「え？ 何ですか、それ。お金は持ってそうな響きですけど」
ウエンディが悩ましげに溜息を吐く。
「彼女は私達とは関係の無い、どこか別の場所から来たのかもしれませんね。ミスター・ノーマン」
「それはそれで興味深いので結構ですね」
ふん、とシキザキが鼻を鳴らす。
「馬鹿馬鹿しい。良いからここから出る方法の一つでも考えろ。それとも、ずっとここに居るつもりか？」
「それもそうだな。全てはここから出てからだ。ミスター、いい加減話を元に戻しましょう」