1話 遊戯の支配人とお遊び

02.鬼さんこちら


「まだ出られないんだよ」

 再度、背後から声が聞こえる。
 酷く中性的、子供でもあり大人でもあり、それ以前に女性的で男性的だ。その声音からは歳すら予想する事も出来ない。ただし、一つだけ分かっている事があった。
 声が楽しげに弾んでいるという事。
 何が楽しいのかは全く以て不明だが、その声音は楽しげだ。小躍りでも始めそうな声と形容して差し支えないだろう。

 梔子の答えなど要らないのか、声は更に続ける。すぐ真後ろ、うなじに細い吐息が掛かったような気がした。

「ここを通る為の道具が足りない。全部持ってから外に出なきゃ。必要な物はあと2つ。ちゃんと見つけるんだよ」

 くすくす、と無邪気な笑い声が響く。と同時に、背後にあった気配がふっと消えた。身体が自由を取り戻した瞬間、振り返る。
 ――半ば予想した通り、そこには誰も立っていなかった。
 あれは何だったのか。形の無い不安の影を落とし、声の主は忽然と姿を消している。隠れられる場所など屋台の中くらいにしか無いが、それにしたって距離があった。駆けて行ってその中に駆け込むなど、人間には出来ない所業だろう。

「……取り敢えず戻ってみようかな」

 為す術無く立ち尽くしていた梔子は頭を振って、今までの出来事を脳内から弾き出した。あの声が何だったのか、それを考えている場合では無い。
 この不思議空間から抜け出す足掛かりとして、『必要な道具をあと2つ』というのはきっとヒントだ。こうして立っている訳にもいかないし、来た道を戻ってみよう。一本道だったが、何か見落としている事があるかもしれない。

 戻る時は屋台の様子も観察しながら戻ろう、そう決意して足を踏み出した。

 ***

 結果的に言えば、鳥居の前にあった段差を越えた所で人の姿を発見する事と相成った。
 屋台を覗き込んでいるその人物は梔子から見て横を向いている状態だ。黒い長髪を無造作に垂らし佇んでいるのを見た時、咄嗟に女性だと思った。
 だが、近付くにつれそれが大きな間違いであった事に気付く。女性にしては逞しい身長に体付き。加えて佇まいもどこか威圧的だ。

 しかし、それはまあ、いい。
 問題は――横から見ても分かる、人間には無いパーツが頭から生えていた事だ。丁度、桃太郎だとか日本の童話に出て来る、鬼のようなそれと言えば一番近しいか。手が当たったら傷が付きそうな鋭い角が2本、生えている。
 着ている服もまた、浴衣などではなく立派な袴。柄の入った、高そうな着物。その帯には細長い筒状の物を差している。まさかとは思うが、日本刀だろうか。銃刀法違反という言葉を知らないらしい。

 ――えっ、まさか、鬼?
 架空の生き物ではあるが、流石に目の前に出て来てしまえば疑いざるを得ない。祭りの催し物の一環という可能性もありはするが。

 進行方向に鬼のような何かが居るので、歩を進めれば必然的に彼との距離も縮まる。やがて、はっきりと相手の顔を視認出来る所まで近付いた梔子は、その足を止めた。この静かさだ、自分の立てる足音などきっとあの鬼にも届いている。
 案の定、足を止めた丁度そのタイミングで例の鬼はこちらを向いた。真っ直ぐにこちらを見ているので、最初から存在に気付いていたものと思われる。

 鬼の赤黒い瞳がぐっと細められた。非常に威圧感のある顔立ちに、呼吸すら止める。

「何だ貴様は」

 ――何かしたら飛び掛かって来そう。
 野生の動物感がある。これ以上近付くと、有無を言わさず飛び掛かって来そうな危うさ。距離を詰めるのは危険だと判断し、ぴったりと足を止めた。会話をする距離感ではないが、一先ず対話を試みようと口を開く。

「えーっと、私、神薙梔子。実は――」

 最低限の礼儀として名を名乗り、ここに居る事情を掻摘まんで説明する。腕を組んでじっとりとこちらを見ていた鬼さんは微動だにせずそれを聞いていた。
 一息に話を終える。途端、彼は尖った爪の付いた指で梔子を指し示す。

「おい、それはどうでも良いが、縁起の悪い物を着ているな」
「え?」

 指摘されて初めて自らの格好を顧みる。
 白い装束――死に装束であると分かる出で立ち。ついでに襟の部分を見てみたが、自分ではどちらが『前』になっているのか判別出来なかった。

「あのぅ……えーっと、どっちが前になっているか教えて貰っても?」

 舌打ちを漏らした鬼は短く、予想通りの答えを寄越した。

「左前」

 思わず苦笑する。起き上がって全く格好など気にしなかったが、これは確かに縁起が悪い。しかし、今それについて話し合っている場合では無いだろう。こんな着物、一度脱いだら一人で着る事も出来なさそうだし。

「あなたはどうしてここに居るの?」
「貴様のような得体の知れん奴になぞ、教えられるか」
「いやいやいや、協力し合っていこうよ。あっ、もしかして鬼さんは神社の住人なのかな?」
「……そんな訳あるか」
「ほらー、じゃあ私達、被害者の会って事でしょう? 勿体ぶらずにどうしてここに居るのか教えてよ!」

 なおもしつこく話し掛けると、また舌打ちした鬼さんは溜息混じりに問いの答えを口にした。

「急にここに来ていた。今は出る方法を探している」
「私と一緒じゃん、何で勿体ぶったの?」
「貴様と一緒にするな」

 酷く不機嫌そうに言った鬼は苛々と貧乏揺すりを繰り返している。ストレスが溜まっているのは火を見るよりも明らかだ。