14.ミソギの告白
とにかく結芽の夢を覚ますという何を言っているのか最早分からない言葉通り、トキが攻撃を始めた。人を罵る事に関しては一級品の才能だ。
「先程も言ったが、ミソギはお前が思っているような人間ではない。奴は臆病だ。今回もお前が一般人でなければ泣いて縋り付いているはずだ」
「いいえ、ミソギさんは立派に私の事を導いてくれたわ」
「折角勇気を振り絞って逃げ道を模索していたのに、まさか助け出そうとしていた相手が怪異の親玉とはな。それに、出ようと必死になっている人間を見ながらそれに好かれようなど、矛盾した話。貴様の思った通りに事は運ばない」
へえ、と結芽が狂気めいた笑みを浮かべる。これだけで全くトキの言葉を真に受けていないのがひしひしと伝わってくるようだ。
「よく分かったわ。あなた、私からミソギさんを引き離そうとしているのね」
瞬間、結芽が何かを振り払うように手を払う。飛んでいる羽虫を叩き落とすかのような動作。
咄嗟の判断なのか、それとも野生の勘に似た作用なのか。僅かに目を見開いたトキは転がるように真横に移動した。先程まで彼が立っていた床のタイルが跳ね飛ばされ、ソファに突き刺さる。
もし、今一瞬でも動くのが遅れたら――
夢の中とはいえ、無事では済まなかったかもしれない。夢の中で死亡したら、現実では心臓麻痺で死亡、なんて在り来たりな怪談が脳裏を過ぎった。
当然、結芽は追撃の手を緩めない。最早、彼女の中に正気の色は無かった。色んな場所を一緒に歩き回った時の冷静さは皆無だ。
チラチラと脳裏に三舟のメールが鮮やかに浮かびあがる。そうだ、トキの言葉は彼女の響かなかったが、他でもない自分自身の告白であれば。有効かもしれない。結芽の脳にどの程度のフィルターが掛かっているかは定かでは無いが。
しかし、迷っている暇はもう無かった。今の所、トキはひらりひらりと不可視の攻撃を躱しているようだったが、それもいつまで保つか分からない。堪らずミソギは口を挟んだ。
「結芽さん、聞いて欲しい事があります!!」
「なに?」
トキを狙い撃ちしていた結芽の動きが止まる。そして、うっそりと笑みを浮かべた。恍惚とした表情、どうも好きになれない。
「雨宮の件、結芽さんも知っているでしょう?」
「ええ。あなたの独り言、隣の部屋に筒抜けだったもの」
そんなに大声で寝ている友人に話し掛けた記憶は無いのだが、301号室の壁は奇跡的にかなりの薄さを持った壁なのだろうか。疑問だ。
が、今現在においてあまり関係の無い話なので気付かなかったふりをして話を続ける。多分、そんな事をいちいち気にしていると話が一つも前に進まない気がする。
「私、アメノミヤ忌憚についてみんなに隠している――ううん、みんなを騙している事が、あります」
「はあ? 何を……?」
アメノミヤ忌憚と聞いて途端に自分も無関係では無いと自覚したトキが眉間の皺を深くする。それもそうだろう、彼にとってもこの怪異は友達を一人失いかけた忘れられない出来事のはずだ。
話の重さに気付いたのか、結芽は胡乱げな瞳をこちらへ向けてくる。何を言い出すんだ、と言わんばかりの表情で。
もうここまで来たら後には引けない。意を決し、言葉を紡ぐ。
「私が……私が、雨宮の所に足繁く通っていた理由についてだけど。友達だからっていう理由だけじゃないんです。私、ズルい事をした。だから、それが雨宮の口から別の人に伝わらないように監視していました」
「……は?」
「あの日、あの瞬間、本当は私もトキも雨宮達を助けられる場所にいた。トキに怪異の声が聞こえないのを良い事に、気付かないふりをしてその場から逃げ出すよう促しました。私があの時、恐れずに雨宮を助けに行っていれば。こんな事には多分ならなかった」
痛い程の沈黙。301号室で行っていた独白を全て聞いていたのであれば、樋川結芽でも今口にした事の重大さが分かるだろう。トドメと言わんばかりに言葉を紡ぐ。
「だから。私は友達にすら心を砕く事が出来ない人間だから。結芽さんの為に、この場に留まる事を許容する事は絶対に出来ない。私はそんなに優しい人間じゃない!」
びしり、と何かが致命的に破壊される音が遠くで響いた。