4話 結芽の夢

07.結芽の思惑


 ***

「う……」

 閉じていた目蓋の裏から強烈な光を感じ、小さく呻いたミソギはその身を起こした。何か柔らかい物の上に横たわっていたようだ。グルグルと回る頭に手を当て、ゆっくりと周囲を見回す。
 見回して、首を傾げた。

 ――全く知らない、見覚えの無い場所だ。
 雰囲気だけでの判断とはなるが、かなり女性的な部屋。個室だ。何らかのモデルルームみたいで清潔感と柔らかさを併せ持った色合いの部屋。住んでみたいな、とうっかり思ってしまいかねない優しい空間。パステルカラーの家具を見ていると頭がボンヤリしてくるようだ。

 寝起きで上手くまとまらない頭でまんじりと室内を観察していると、不意に部屋のドアが開いた。そこから姿を見せた樋川結芽のおかげで、一気に現実へと意識が引き戻される。

「え、あれ、ここは……」
「おはよう、ミソギさん。実は、ずぅっとあなたをここへお招きしたいと思っていたの」

 背筋に走った悪寒により、急速に頭が冷えていく。そして、脳が冷却された事により、今まで気付かなかった些細な違和感に気付かされるようだ。

 この部屋、よくよく観察してみると現実味が薄い。
 まず第一に、電化製品が置いてあるにも関わらずコンセントやコードの類いが見当たらない。非常に実用性の無い部屋で、所々生活に必要な物が足りていない。更に言えば個性も無い。本当に人が住んでいるのか? 単純に客へ見せる為のただのモデルルームであって、実は誰も生活などしていないのではないか?
 色々と不自然な箇所は挙げだせばキリが無い。とにかく、ゾッとする何かを抑えられない非現実的な部屋と言えるだろう。

 続いて、結芽の様子を観察する。彼女の複雑な感情は他人である自分には到底理解出来るものではなかった。
 恍惚としていながら、無邪気な喜びを。苛烈な憎しみから、聖母のような愛情を。相反するはずの感情を全て綯い交ぜにしたかのようなその表情はゾッとするような恐怖に満ち溢れていた。下手な怪異よりずっと恐ろしい存在なのかもしれない。

 まるで――そう、夢の中であるにも関わらず、夢でも視ているかのような。そんな彼女に対して思う事は一つ。彼女こそが、この空間の主であるという事実のみだ。

「……ずっと招きたかったって、どういう事ですか?」

 黙り込んではいけない、本能がそう警鐘を鳴らす。その本能に従い訊ねた。酷く機嫌の良い様子の結芽はうっとりと目を細める。

「そのままの意味よ。私ね、あなたのオトモダチが301号室に入院している時から、ずっとずっとずっと、あなたの事を知っていたの」
「それは、友達のお見舞いに来ていただけで……。別に結芽さんに会いに来てたわけじゃないですけど」
「そうね、私は302号室、何の接点も無いただの隣室の患者だもの」
「だったらどうして――」

 あなたの、と思いがけない強い言葉で疑問の声は遮られる。

「あなたの優しい語り口調が好きだった。足繁く見舞いに来て貰えるあなたの友達が羨ましかった。私なんて兄と偽っているらしい機関の人間が事情聴取へ来るくらいしか、外界との接点が無かったのに。私には意識があったのに、誰も、何も」
「大変言い辛いけれども、それは私のせいじゃないよ、結芽さん。私にあなたを救う力はありません。だってただの除霊師だし……」

 人助けどころか、元は人だった可能性のある怪異を消し飛ばすお仕事だ。結果的に人が救われているだけであって、ダイレクトに人助けをしている訳でもない。つまり、結芽が除霊師に対して夢見る要素は皆無。何せ、彼女は救われていない人物代表のような人物だからだ。
 最悪、何故自分はこうなったのかと恨まれる可能性の方がずっと高いと言える。故に、彼女の語った内容はミソギ自身には全く理解出来ない、ただの単語の羅列でしかなかった。

 ああ、と酷く残念そうな顔で結芽が言葉を紡ぐ。

「私が301号室の患者だったら良かったのに」
「それは可笑しいじゃないですか。だって私は友達のお見舞いに来ていたんです。雨宮の病室が302号室ならそっちに行っていた訳ですし。部屋番は関係ありません」

 ピシッ、と空間に亀裂の入るような物理的な音がした。攻撃的な言葉を受けて、空間の主である結芽の何かを煽ってしまったのかもしれない。
 が、何事も無かったかのように結芽は話を続けた。こちらが聞いていようがいまいが気にも留めていないかのようだ。

「301号室の彼女が退院した今、ミソギさんはセンターに来なくなる。だって、来る理由が無くなってしまうもの。それが嫌だったから、私と一緒に夢を視て欲しかった」
「私は普通の生活を送りたいので、残念ながらあなたと夢を視て死んだように生きて行く事は出来ません。それを許容する程、優しい人間でもない。

 彼女の言葉を真っ向から否定する。私という人間に夢を視ないで欲しい。彼女が想像しているミソギという人物像と、本物の自分は全くの別人だ。
 こちらの伝えたい事は全く結芽には伝わっていないようだった。彼女の瞳からは強固な、絶対にここから逃がさないという意思を感じさせる。