4話 結芽の夢

06.十束の失敗


 ***

 その後も一時結芽と会話をしていると、唐突に十束が戻って来た。特に怪我などは無く、元気そうに見える。とはいえ、夢の中で怪我をするのかと問われれば首を傾げざるをえないが。

「お疲れ様。どうだった、何かあった? 十束」
「いや、3階まで一通り見て来たが手掛かりになりそうなものは無かったな」

 ――でしょうね!
 心中で叫ぶ。十束が席を外した理由は、ミソギと結芽が2人で会話をする為の空間を作りたかったからだ。これで収穫があれば驚きだが、やはりそう上手くは行かないらしい。
 こちらもこちらで、識条美代というあからさまに怪しい人物の話しか有力な情報は得られなかった。つまり、センターから出る方法は相変わらず皆無である。

 そんな微妙な空気の中、何故か少し苛立ったように口を開いたのは樋川結芽だった。眉根を寄せ、十束を睨み付けるように見つめている。

「ねえ、そろそろあなたは目覚めなきゃいけないんじゃないかしら? いつまで夢の中にいるの?」
「うーん、まるで出て行って欲しいように感じるなあ」

 売り言葉に買い言葉、目がちっとも笑っていない十束が怯む様子は無い。基本的にフレンドリーな彼の、攻撃的な表情を見ても結芽の頑なな態度は変わらなかった。鬱陶しそうに十束を睨めつけている。
 先に折れたのは十束の方だった。彼は平和主義なので、結芽と言い争うつもりは無いのだろう。

「君には悪いが、自然と目が覚めるまではここに――」

 言いかけた言葉が途中で不自然に途切れる。
 驚いて十束を見やれば、彼は胸の辺りを押さえて顔を歪めていた。端的に言って苦しそうな表情。慌てて駆け寄る。

「十束!? どうしたの、大丈夫? 不整脈?」
「ここは夢の中……。すまんミソギ、目が覚める……」

 瞬間、十束の姿が煙のように消える。最初からそこに存在していなかったかのように、忽然と消え失せてしまったのだ。
 呆然と先程まで十束がいた場所を見つめていると、背後から冷ややかな声がポツリと響いた。

「ここには、ミソギさんだけ居ればいいの」

 ――それは……どういう意味なのか?
 問うより先に、センターの景色が後ろへ後ろへと流れて行く。車内から外の景色を眺めているかのような流れだが、ここは当然ながら室内だ。見えていた風景が流れて行く不気味さに、思考だけが置いて行かれる。
 空間把握能力の許容を越え、気持ち悪くなってきたのでミソギはぎゅっとその目を閉じた。

 ***

「くそっ……!」

 寝言とも叫び声ともつかない声を上げた十束は仮設ベッドから飛び起きた。広がるのは白い天井と、相変わらず微動だにせず眠っているミソギの横顔だけだ。
 それを見て頭を抱える。

「やられた……」

 出来るだけ樋川結芽を刺激しないように振る舞っていたつもりだったが、現状を見るに完全なる逆効果だったらしい。刺激のし過ぎでとうとう尻尾を見せたまでは良かったが、このままではミソギの身の安全が危うい。
 失敗したな、と心中で溜息を吐きながらもアプリを開く。ミソギが何か書き込みをしているかもしれないからだ。

「これは、はぐれる前の書き込みか」

 ミソギが書いた吹き出し、自分とまだ行動をしていた時のものだ。恐らく、結芽への個人調査を依頼した時に書いたのだろう。
 今度はまた別の名前、『識条美代』というホラー作家について調べて欲しいという依頼。更にその下には基本的な情報が白札からまとめられて提供されている。アプリに張り付いている白札達はどうやら十束以上に識条美代の事を調べているようだ。

 今分かる情報は大まかに4つ。
 1つ、事の発端というか最近の大きな怪異事件の最初の最初である『供花の館』。その事件を小説としてリメイクした人物である事。
 2つ、ネタ集めの為か各地の支部で目撃情報が相次いでいる事。
 3つ、強引なインタビューを行う事で有名。機関にしてみれば、目の上の瘤のような人物でもある事。
 4つ、万人受けする売れっ子のような要素は無いが、彼女の書く小説には信者のような異様なファンがいる事。

 随分と胡散臭い情報ばかりが集まったものだ。しかし、同時に彼女が全く当然ながらただの人間である事も事実。今発掘された事実の中に、青札の資質を持つ霊堂に通じた家柄という情報は無い。
 ともあれ、識条美代の周辺調査は続けて貰った方が良いだろう。ミソギの吹き出しを読み返すと、彼女と結芽に関わりがある事が見て取れる。

 白札達に更なる調査をお願いし、十束は支部に目を向けた。さて、取り敢えず今分かった事を相楽へ報告しなければならない。