14.先回りと勘の良さ
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三舟の言葉を受け、早々に『見えている』ロッカーから離れたミソギは足早にホームの反対側へ向かっていた。忙しすぎて忘れていた恐怖が、徐々に徐々に顔を覗かせつつある。
水が地面へ染み込むかのように。緩やかに浸食を続ける恐怖を回避する方法は、さっさとこの場から撤退する口実を作る事に他ならない。
そのせいで、やり方がやや杜撰だった事だけは反省しなければならないだろう。
ピロリン、という現状にそぐわない軽々しい着信音。それはミソギのスマートフォンと、南雲のスマートフォンからほとんど同じタイミングで響いた。後ろを付いてきていた南雲が当然の如くスマホを手に取る。
このお知らせアラームは間違いなく、機関特製アプリの呼び出し音だったからだ。
「ミソギ先輩、何か、相楽さんからアドバイスみたいっすけど!」
「アドバイス?」
「うっす、あ、いっすよ。俺読むんで!」
癖で自らのスマホを改めようとしたミソギの動きを、後輩が阻止する。そのままの調子でディスプレイに表示されているであろうメッセージを読み上げた。
――先程、三舟が送り付けて来たメッセージと似たようなアドバイスを。
ぎょっとして一瞬だけ足が止まる。そんな先輩の焦りをよそに、後輩は楽しげというかどこか尊敬を孕んだ声音で言った。
「何か俺等、今まさに反対側のホームに向かってますけど、結果的には正解だったって事っすね! 流石ミソギ先輩、案外考えてるぅ!」
「あ、ああうん。いや、単純に見つからないから総当たりするつもりだったけど……」
「あ、やっぱり?」
慌てて取り繕った言葉だったが、南雲のイメージする『ミソギ』からはブレていないようだった。「先輩、勘とか良いっすよね〜」とお門違いなコメントを呟いている。これがトキだったのなら。
変に勘所がいい、と突かれていたに違いない。それと同時に三舟の忠告めいた、最後の一文が鮮やかに蘇る。あの人、実は現場にいるんじゃないだろうな。
ごちゃごちゃと思考を巡らせていると、ついに反対側のホームへ降り立つ事に成功した。人が居ないせいで閑散とした光景は控えめに言って寒々しくて哀愁が漂っているかのようだ。
「美弥子!」
しかも、恐るべき事に捜し人である美弥子はすぐに見つかった。ホームの真ん中に座り込んで震えていたのだ。
何故、反対側に居た時に彼女の姿を見つけられなかったのだろうか。なんて、異界で常識を語ってもどうしようもないのだが。
とにかく、美弥子を発見した冬也は慌てた様子で彼女の元へと駆けて行った。一瞬、怪異の見せた幻という可能性を疑ったが、彼が慌てて触れた彼女は消える事無くその場に蹲っている。
その光景を見ていた南雲が不意に呟いた。酷く感慨深そうな声音で。
「いやあ、捜している人に会えてよかったっすねぇ!」
「南雲。君ってかなり純粋だよね。私が如何に汚い人間なのかが思い知らされるよ」
「な、なんすか急に! 先輩ってよく分かんないところで急にネガりますよね」
――それは元の性格だと思う。
とは、流石に言えなかった。というか、言ってどうにかなるものでもなかった。
程なくして、冬也が美弥子を連れ立って戻ってくる。最初こそ不安そうな顔をしていたが、彼女と再会出来たおかげかかなり穏やかな表情だ。何という事だろう、まだここから出られていないと言うのに。
心中で苦笑していると、後輩が心配そうに訊ねてくる。
「先輩、こっからどーやって出ます? 出口とか無いんすよね」
「異界系の怪異って、出口が無い事は絶対に無いってルールだから、どこかしらに出口があると思う。まあ、この怪異、何がしたいのかもよく分からないしメガホン持って絶叫したら穴開けられそうだけど……」
「っすか。じゃあ、先輩にお任せして良い感じ?」
「良いけど、どうにもならなかったら知恵絞って考えようね」
鞄の中から常備している安物のメガホンを取り出す。結局は声の大きさを拡張したところで、威力そのものは変わらない。これは言うなれば、声の射出領域を限定し、且つやや声を大きくするための道具でしかないのだ。
メガホンを介して、特に意味は無い大声を張り上げる。空間がビリビリ、と振動した。振動して――そして、それだけ。
「……先輩、何にも起きませんね」
「そうだね……。どうしよっかな、あ!」
相楽に指示を仰ごう、と既に諦めムードだったミソギは不意に握りしめたスマホに視線を落とした。そういえば、すっかり忘れていたが三舟に貰ったアプリがある。このアプリはメガホンの改良版のようなもので、スマホのマイクを通して声を反響させるためのアプリだ。
一体どこで入手したのか不明、且つ作った会社も不明だがウイルスには感染しないとの事で入れておいた例のアプリ。ミソギは恐る恐る、封印されていたそのアプリをタップした。