3話 反転する駅

12.頼れる大人の定義


 ロッカーから逃げ出したはいいが、そこは人っ子一人いない駅のホームだった。駅とはイメージとして人が多いはずの場所であり、そこに人影が無いというのは端的に言って恐怖を覚える光景だ。
 下がっていく体温を誤魔化すように、冬也は周囲を見回す。相変らず、頭の中に直接響いてくるような赤子の泣き声は止まないがほんの少しだけ身体が楽になったような気がする。

 と、やや冷静さを取り戻したその耳に今一番待ち望んでいる人の話し声が耳朶を打った。ひそやかに、しかし人間味のある感情を伴った話し声。
 すぐに踵を返した冬也は、半ば予想しては居たものの数十分前に顔を覗かせた先遣隊の姿を認めた。あまりにも初めて会う人物が多いので断言は出来ないが、彼女等は間違いなく美弥子を捜しに行った2人だ。

 ただし、同時に気付いた事がある。
 ――美弥子の姿は見当たらない。恐らくまだ見つかっていないのだろう。駅のホームはそう広くは無いはずなのに。

 しかし、ここでまごついている訳にはいかないと冬也はその背に声を掛けた。

「すいません」

「ぎゃああああああ!?」

 悲鳴のドッキング。低音と高音、見事な2パートで奏でられた絶叫は冬也の耳を勢いよく貫通した。思わず耳を押さえて蹲る。この人達、こんなんで大丈夫なのだろうか。
 呆れとも困惑ともつかない気分を味わっていると、状況を把握したらしい除霊師の女性が「あっ」、と声を上げた。

「い、依頼人の……えーと、何とかさん。何でここに!? 相楽さんに表で待ってて、って言われなかったっけ?」
「すいません、どうしても美弥子が気になって」
「そっか……。でもまあ、来ちゃったものは仕方ないかなあ。早目に把握できたのはいいことだった、かも」

 歯切れの悪いというか、悪い事を無理矢理良い方向へと転換するような彼女の姿勢。対し、もう一人男の除霊師は眉根を寄せていた。困った犬のような顔だ。

「よくねぇっすよ、マジで! 俺等の進捗も微妙だってのに、一般人にかまけてる余裕とかないってホント!」
「いやでもほら、人数は多い方が安心感あるし。それに、この人って美弥子ちゃんの事をよく知ってるでしょ。どこに行くかもしれないとか、分かるんじゃないの?」
「あー! 成る程、流石センパイ!」
「こんなん、先輩じゃなくても分かるわ」

 ――心配になってきた。
 いまいち緊張感の無い会話に冬也は辟易した。かなり怖がりである事は見て取れるが、謎の余裕が漂っているのもまた事実。やはりこういった職業を生業にしていると、程度とベクトルは違えど肝が据わるのかもしれない。

 ***

 感情の起伏が読めない依頼人、冬也が加わったのを横目に見ながらミソギは内心、頭を抱えていた。
 後輩と依頼人の手前、焦りを前面に出さないよう振る舞ってはいるが正直もうこの仕事を投げ出したい気持ちで一杯だ。どうしてこうも、面倒なトラブルに見舞われるのか。

 現在何をしているのか、それを懇切丁寧に説明している南雲を尻目に状況を分析する。
 まず、一番の目的である美弥子の捜索。こちらは完全に難航しており、この狭い駅の中ですら彼女を見つけられずにいる。とはいえ、隅々まで捜したわけではないし、まだホームの向こう岸も残ってはいるが。
 そして赤ちゃんの泣き声。これはロッカーを離れると遠くなりはしたが、今でも延々と聞こえ続けている。頭の中に直接響いて来るようなそれは、恐らく霊障の類だろう。

 ――もしかして、赤ちゃんの泣き声と駅は関係が無い?
 場所は場所として、2つの怪談は切り離して考えるべきだろうか。何とも言えないが、そうであるならば美弥子の捜索域は変えるべきかもしれない。

「もしかして、怪異としては半人前なのかな」
「はい? 何すか、先輩」

 零れた仮説の話は南雲が丁寧に拾ってくれた。視線が自分に集まっているのを感じ、ミソギは口を開く。

「人を収容するだけの怪異だからさ、この駅。もしかして不安定で、土台が定まっていないのかもしれないと思って。怪談も一定じゃないっていうか、背びれ尾びれがついてずっと流動しているし」
「んあ、そういうもんすかね? えーっと、つまり俺等はどうすればいいんですか?」
「出口が無いなんて事はあり得ないけれど、未熟な怪異なら力業で適当に出口を創って出られるかも。つまり、美弥子ちゃんさえ見つかればすぐにでも出られる可能性があるって事かな」

 自分で言っていて何だが、今回は色々と不可解な点が多すぎる。
 心中でぼやきつつ、スマホに視線を落とした。先程から十束が「冬也が居なくなった」、としきりにメッセージを送って来ているのでここにいると返答する。

 ついでに、アプリを操作するふりをしてスマホのキーを叩く。これは十束へのメッセージではなく、三舟へのメールだ。駄目もとだが、一応参考になるかもしれないので脱出法や異界で見つからない人間はどうやって捜せばいいのかを訊ねる。
 無表情で一連の動作をやってのけたミソギは、何事も無かったようにスマホをポケットにしまった。