3話 反転する駅

11.ミイラ取り


 再びスマホに視線を落とす。ミソギが新しいメッセージを送信している事に気付いた。中身を空けてみると、一瞬連絡を取らずにいた間に何事かが起きているかのような文面だ。

『ミソギ:四方八方から泣き声が聞こえてきて、赤ちゃんの位置すら分かんないんだけど』
『ミソギ:あと、美弥子ちゃんがどこにいるのかも分かんない』
『ミソギ:出口も無さそうだって南雲が』

 ――混乱というか、パニクってるな……。
 目を離した隙にかなり混沌とした状態になっているようだ。どうやって気の弱い友人を励ますべきかと、冷や汗を掻きながら文面を考える。と、不意に雨宮の存在を思い出した。
 ここ3年間は彼女が居なかったおかげで、色々と苦労したが本来こういった励ましは雨宮の得意分野だったはずだ。すぐにスマホの画面を消した十束は頼る気満々で友人の方を振り返った。

「どうかしたのかな」

 待っていましたとばかりに訊ねた雨宮に、ミソギが打った文面を見せる。神妙そうな顔をした彼女は大きく頷いた。

「取り敢えず、落ち着かせた方が良いね」
「雑だな、雨宮。前はもっとこう……あっただろう。思いやりに満ち溢れた文面を考える力が」
「私も普段ならそうするんだけどね。どうやら、今はそれどころじゃないみたい」
「ん?」
「トキと冬也くんの姿が見えないなあ……」
「は!?」

 慌ててスマホから顔を上げ、2人の姿を捜す。彼女の言う通り、影も形も見えなかった。どこへ行ったと言うのか。不可解な行動に、完全に出遅れた感が否めない。
 仕方が無いので、慌てた十束はミソギへと素早く返信した。
 曰く、「こっちもちょっとトラブってる」と。

 ***

 冬也は困惑していた。
 というのも、美弥子を捜しに来た彼は言われるがまま邪魔にならないよう駅にて待機していたのだが、やはり彼女の行方が気になる。駄目もとで目付け役のこの、トキという人物に相談したところ、あっさりと動き回って良いと許可が出た。
 ただこの人、さっき自分を監視するよう言った相楽と言う人より多分地位が低い。そんな事を勝手に決めていいのだろうか、というお門違いな不安が拭えないのだ。

「……どうして俺が美弥子を捜すの、認めてくれたんですか」

 監視、という役割を果たすつもりはあるのか、ぴったりと付いてくるトキに訊ねる。威圧感が尋常ではない彼は、不機嫌なのかそうでないのかすら測れない鉄面皮のまま問いに応じた。

「お前の気持ちは分からなくもない。どうせ表面的に捜しているだけで、見つかるはずはないがそれで気が済むのならば好きにすればいい」
「俺が居なくなったら、どうするつもりなんですか?」
「お前が居なくなった責任を、私に取れと? 相応の覚悟があってやったのならばともかく、思い付きだけで行動しているのなら自殺に私を巻き込まないでもらいたい」
「俺はただ、美弥子を捜しているだけです」
「それならそれでいい。いちいち確認を取るな、鬱陶しい。お前の行動に私の許可が必要か?」

 何だか生き辛そうな人だな、と漠然とそう思った。こんな人物が冬也の心境を理解しているとは俄かに信じ難い。
 しかし、ホームをぶらつけるのは端的に言ってしまえば有難い限りだった。他の連中に見つかる前に、どうにかして美弥子を見つけたい。

 躍起になりかけていたその時だった。
 かなり遠く、確かに赤子の泣き声のようなものが耳朶を打つ。確か、美弥子を捜しに行くと言っていた2人組はその声を聞いてから居なくなったはずだ。つまり、この泣き声は前兆。
 ちら、とトキの方を伺う。彼もまたその声に気付いているのか、コインロッカーの辺りをじっと見ていた。

 ほんの少しの恐怖と、美弥子の動向を探るという目的が鬩ぎ合う。このままロッカーへ進めば取り返しの付かない事態になるという確信を覚えながらも、同時に美弥子が見つかるという希望が揺れている。

「行くのか」

 異常な事態に陥っているというのに、トキその人は困惑するぐらいに冷静だった。その顔には欠片も恐怖すらも浮かんでおらず、ただただ静かに冬也を見下ろしている。
 あまりにも動じない彼の姿勢に感化されたのだろうか。恐怖で波風の立っていた心が落ち着いていくのを感じる。というか、怖がっているのが自分だけという事実に押し潰された、あるいは勢いを得たというのが正しいだろう。

 腕を組み替えるトキに対し、小さく頷く。「分かった」、と小さく呟いた彼は淡々と歩を進め始めた。コインロッカーへと。
 置いて行かれないように、慌ててその針のように真っ直ぐな背中を追う。

 そこで不意に思い至った。
 実はトキも自分と同じく、コインロッカーへ入って行った彼女等を追いたかったのではないかと。ダシにされたのはトキその人ではなく、自分自身だったのではないかと。

「ロッカー……」

 薄汚れたロッカーはそれだけでかなり不気味だ。どことなくゾッとしながら、トキの姿を捜した――が、そこに彼の姿は無かった。目の前にいたし、そもそも冬也の脇を通らなければロッカーから出る事は出来ない。
 何故、自分は一人でここに取り残されているのか。先程とは比べ物にならない恐怖が全身を襲う。

 しかも、静かになったせいで耳鳴りのように赤ちゃんの泣き声が四方から聞こえてきた。こんな事はあり得ない。怖い。
 一瞬の思考の停滞。
 ただし、次の瞬間には冬也は駆けだしていた。とにかく、ロッカーの外へと。