10.トラブルはつきもの
ぞっとしたのも束の間、後頭部に氷でも入っているような冷たさに襲われる。それは圧倒的に精神的な問題だろう。何せ、声が聞こえる。
赤ちゃんの泣き声。絶える事無くあらゆる方向からだ。子供特有の、人を不安にさせるあの声が四方八方から響き続けている。
「ひィッ……!? やべー! やべぇっすよ、センパァイ!!」
「ヤバイのは南雲の語彙力だよ……!!」
息がし辛い閉塞感に、必死で呼吸しようと酸素を吸い込むがイマイチ空気を吸えている気がしない。気は急くばかりだが、やるべき事だけは明白だった。何せ、その為だけにここへ来たのだから。
「取り敢えず、早く出る為にも美弥子ちゃんだっけ? を、捜さないと」
「な、何か先輩、冷静じゃね? つか、最近、メンタル強くなりましたよね」
――そうだろうか。
確かにあらゆる危険な事に巻き込まれて、多少なりとも肝が据わったのは事実だが。目に見えて基本的な人格が変わる程では無い気もする。
動きを確認する為、かなり久しぶりにアプリを起ち上げる。解析課で仕事をしているとアプリを使う事は無いので最近では存在すら忘れていた。
既に作木駅専用のルームが作られていたので部屋に入る。今日の面子が色々と書き込み、もとい生存確認をするよう促しているのが見て取れた。素早く異界へ突入した旨を伝える。
「……んん?」
「どーしたんすか……?」
アプリを見て心を落ち着けていると、十束が不意に不穏な書き込みをした。それこっちに言われても、とそんな内容だ。
「何か十束が、こっちもトラブってる、ってさ」
「ええ、知るかよ! こっちのが大変だっての!!」
ヒステリックに叫んだ南雲は既に涙目だ。早く探索を開始しないと。
そう思ってスマホから顔を上げると、途端に赤ちゃんの泣き声が耳に突き刺さるようで上げかけていた気持ちが下がった。
***
表の駅に取り残されている十束はぐったりと溜息を吐いた。アプリを操作していたが、ミソギからの返事が無くなったのでポケットに仕舞う。あちらもあちらで仕事を開始したのだろう。
「なあ、雨宮……。これはどうするべきなんだろうな」
「私達の誰かが着いておくしかないね」
うっかり大変な仕事をしているミソギに愚痴ってしまったトラブル――依頼人、萩原冬也へ視線を移す。彼は何故か封鎖していたこの作木駅の中に入って来てしまったのだ。行方不明の美弥子が心配だったらしい。
現状、彼は大人しく十束の隣で待機してはいるがキョロキョロと落ち着き無く周囲を見回している。というか、今日は平日だ。学校はどうした。
「あー、冬也くん」
「はい」
現在、トキが相楽を捜しに行ったが大胆な行動を取らないよう、十束は途切れ途切れに彼へと話し掛けている。
「もうすぐ俺達の上席……相楽さんが来るが、恐らくは大人しく帰って貰う事になるだろう。悪い」
「ああいえ、勝手に入り込んでしまって、すいません」
「その美弥子ちゃんは俺達がきっと見つけるから、待っていてくれないか?」
「……ええ、はい」
歯切れの悪い返事である。これは隙を突いて逃げ出すつもりだな。
ちら、と雨宮を伺う。彼女は小さく頷いた。目を離すな、という事だろう。
「そういえば、俺はアプリを打っていたから、よく聞いていなかったが解析課の方々はどうしているんだ? さっきからいないよな」
「敷嶋さん達なら、コインロッカーに転がってたラジカセを置いた犯人を洗いに行くって言っていたけれど」
「ああ、そういえばそっちが本職か」
コインロッカー辺りで何か硬い物が落ちた音がした後、そこにミソギ達の姿は無く代わりに例のラジカセが落ちていた。それを回収した敷嶋と凛子はラジカセをセットした犯人を捜しに行ったらしい。
などと話をしていると、相楽とトキが戻って来た。心なしか、上司は困った顔をしているように見える。
「萩原冬也が来てるって? って、お前か」
「すいません……」
すぐに部外者を発見した相楽がガリガリと頭を掻く。渋い顔をしているが、特に小言を言うつもりはないようだ。
「いやいい。仕方ねぇ。ただな、今はちょっとサツが取り調べしてっから、出入りが出来ねぇんだよ。悪いが、誰か付けておくからここで待っててくれ」
「相楽さん、このまま冬也はここに置いておくという事ですか?」
「おう。30分もすりゃ、事態も動くだろうし。その頃合いを見計らって、駅から出してやる」
それは安易に仕事が増えるという事を物語っていた。それそのものは仕方が無いのだが、冬也が大人しくしていないであろう事だけが引っ掛かる。
そんな相楽は十束の心中を知ってか知らずか、不意にトキへ声を掛けた。
「トキ。お前、萩原サンの事見といてくれ」
「はあ?」
「いや、はあ? て。連絡系統は雨宮と十束に任せてるし、今手ぇ空いてるだろ」
「そうですね。まあ、分かりました」
「露骨に不満そう。じゃ、頼んだぞ。おっさんはちょっと敷嶋達と話をしてくる」
そう言った相楽はそそくさと足早に去って行った。別の職場と連携しているせいか、いつも以上に忙しそうだ。