05.たいようの家
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たいようの家。
そこはまだまだ新しさの残る老人ホームだった。やんわりとした太陽を浴びながら、小さな庭を散歩しているおばあさん、ホームの中で呑気に茶を飲んでいるおじいさん、とにかくそこかしこに人の姿がある。
先にも述べた通り、実はあまり高齢者との接触が無い。祖父母達とは折り合いが悪かった為に、禄に顔を合わせた事も無く、ついでに言うと機関の除霊師になってしまったので一般人と関わる機会も減ってしまった。
今からどうして良いのか分からない。ちら、とコミュニケーション能力に多大な欠陥のあるトキを伺う。彼は降りた車の前から微動だにせず、腕を組んで事の成り行きを見守る姿勢を取っていた。
「あれ、凛子さんはどこ行った?」
「あの人なら、もう受付に話を通しに行きましたよ。うーん、こういう所にズカズカ入り込んで良いんすかね」
南雲は疑問顔で、受付の男性と話をしている凛子に視線を向けている。
確かに、ここは血生臭い話題を持ち込むには適さない場所であるだろう。そういう雰囲気はある。
何か交渉が成立したのだろうか。受付の男性に軽く頭を下げた凛子が戻って来た。愛想もへったくれも無い顔で、ホームを見やる。
「長居は出来ないけれど、町子さんに話を聞くだけなら許可して下さるそうよ。さあ、行こうか」
「私はここで待とう。除霊とは関係の無さそうな動きだ」
「トキくんは来ない方が良いよ。君、何をしでかすか分からないし」
――えー、それって私と南雲は必然的に着いて行くことになってるんですかね。
分かりきった問いを心中で凛子に投げ掛ける。口にこそ出さなかったはずだが、凛子は「行くよ」、と間違い無くこちらへ向かってそう言った。拒否権は無さそうだ。
「例のお母さんは、町子さんって名前なんすね?」
「ええ。そして、彼女は――」
何事か言い掛けた凛子はしかし、首を横に振って続く言葉を呑み込んだ。気になる所で急に話を終えるな。
抗議の言葉はしかし、職員の女性に連れられて来たおばあちゃんの到来により言の葉にはならなかった。
小さな小さなおばあちゃん。腰は曲がり、顔はしわしわだ。70代前半くらいだろうか。彼女はこちらへにっこりと微笑むと、口を開いた。
「あらあら〜、よく来たのねぇ。えーっと、それでこの子は誰の孫だったかね? お隣さんのお孫さんだったかしらねえ」
「……? え、いや、私は……あの、町子さんのお孫さんじゃ、無いです」
孫だと何故か勘違いされている。このまま話を進めるとややこしくなりそうだと、早々に訂正した。町子はうんうん、と頷いている。どうやら勘違いだったと分かってくれたらしい。
「そうだったの。じゃあ、誰の孫だったかねぇ……? ごめんね、おばあちゃん、最近物忘れが酷くて。あれ? 斜め向かいの娘さんだったかね?」
「え。いや、だから……」
「えぇっと、息子は何人いたんだったかね。2人? 4人……?」
酷く空恐ろしい気分になってきて、とうとうミソギは口を閉ざした。会話が無限ループするのではないか、という漠然とした恐怖。本能的な恐れ。
しかし、ここで意外にも役に立ったのは凛子でもなく、後輩の南雲だった。
「おばあちゃん、おばあちゃん。俺等、はす向かいの家の子だから。今日はちょっと聞きたい事があってさ、会いに来たんだよ」
「ああ! そうそう、竜太くんだったかね?」
「そうそう。そいつそいつ」
「じゃあ、そっちのお姉さんは誰だったかね? お母さん?」
「いや、凛子さんは俺等の従姉だよ、従姉。ほら、親子程じゃないだろ?」
「うんうん。それで、えーっと、うん? あんたは誰の子やったかね?」
再び同じ会話が始まった事に戦慄しながらも、口を噤んでいた凛子に視線を送る。南雲の神対応により、町子は上機嫌でずっと同じ会話を繰り返しているようだ。
職員の女性が何とも言えない顔をしている。
「すいません、それで聞きたい事とは何でしょうか? その、我々も町子さんの全てを把握している訳ではありません。本人に聞かないと分からないような事もたくさんありますので。すいませんけど」
それは言外に、自分達が分からない事は町子に聞いても分からないぞというニュアンスを含んでいた。
南雲の様子を伺いながらも、凛子が早速訊ねる。
「町子さんの長男さん――木山幸哉さんについて、何かご存知無いのですか?」
職員が分かり易く顔をしかめ、そして首を横に振った。
「概要はご家族の方から伺っています。ですが、何分デリケートな個人情報ですから。私達の一存で、それについてお答えする事は出来ません。他のご兄弟方に聞かれてはどうでしょう?」
「いえ、周辺に不審人物が居なかったか、何かトラブルが無かったかだけを教えて欲しいのですが」
「それは……。私達には分かりませんね」
職員は再び町子を見やる。南雲と心なしか楽しそうに会話していた。その様を一時眺めていた彼女は、意を決したように2人の会話へ割って入る。
「町子さん、ちょっと良いかな? その、えーっと、はす向かいの家の子達が町子さんに聞きたい事があるんだって」
町子がこちらを向き、小首を傾げた。凛子が口火を切る。
「町子さん、幸哉さんの――」
「幸哉なんて知らんッ!!」
――……!?
急な剣幕にミソギはおろか、凛子までも言葉を失って茫然とした空気が漂う。しかし、その微妙に澱んだ空気に気付かないのか、町子は更なる剣幕で凛子へと詰め寄った。
「そんな息子はいない! 私をこんな場所に閉じ込めて!! 早く家に帰せ!!」
慌てた様子の職員が数名近付いて来て、やはり慌てたように町子を宥め始める。受付の男性職員が、凛子の肩を叩いた。
「すいません、今日は、ちょっともう……」
「ええ、すいません。騒ぎにしてしまって。日を改めます」
事の終息をオロオロと見守っていた南雲を呼び戻し、ホームから出る。車に寄り掛かって事の成り行きを見ていたトキが僅かに目を伏せた。
「これが貴様のやり方か? 少し考えれば分かった事だろうに」
「君って本当に容赦がないね。確かに、これは私の浅慮だったけれど」
思い切りトキに詰られた凛子はぐったりと溜息を吐き、車に乗り込む。しかし、今起きた事を切り替えるように次の目的地を口にした。
「次は近くのカフェで三男さんに会うわよ。アテが外れてしまったからね、今度こそ有力な情報が出て来ると良いのだけれど」