05.機関の呪具
水瓶から流れ出る気味の悪いものを眺めながら、そもそも何故、この三舟という男と行動を共にする事になったのかについて想いを馳せる。そうでもしなければ、この意味不明な状況に苛立ちが募るばかりだ。大義名分の元、動いていることに注視していないと。
***
昨日、雨宮の病室にて。
警察に通報などの問答を通り越したミソギは、三舟老人に訊ねた。
「それで、私への用事って何ですか? 見ての通り、オフなんですけど」
「ああ、知っているとも。気にする事は無い、何も今日動けと言っている訳ではないのだよ」
――何で私がコイツの為に動く事が前提になってるんだろ。
思いはしたものの、話が進まないので口を噤む。彼の用事とやらは断る事が大前提だが、門前返しでは相手も納得しないのだろう。取り敢えず話だけは聞いてやる、それが円滑な人間関係を促進させるというものだ。
海よりも広い心を持って、三舟の言葉を待つ。耳朶を打ったのはとても初対面だとは思えないような一言だった。
「君と取引をしようと思ってね」
「何ですか? 除霊師向けの新しい保険の話ですか? すいませんが間に合ってます」
「私は保険会社の回し者ではないよ。そういう大きな話では無く、個人的な取引だ。君、彼女を救いたいとは思わないのかね?」
「……いや、そりゃ救えるのなら救いたいですよ。事情も知らないのに、そういう泥沼的問題に首を突っ込むのは――」
「ああ、事情は知っている。知っている事を前提に話を進めて貰って構わないよ。その上で断言するが、彼女は『そのぎ公園』の怪異を退けない限り目を醒まさないだろう。ここにはいないのだろうね、彼女は」
実はその話は知っている。何せ、霊障センターにはよく出入りするのだ。もう1年前になるだろうか。看護師達が会話しているのをうっかり耳にした。それも、看護婦達の推測ではなく、蛍火の下した結論として。
つまり、何度も何度も知らぬフリをして見舞いに来ていたが、その実は雨宮がこのままでは意識を失ったままだと知っていたのだ。
いや待て、そもそも何故この男は雨宮の事情を知っているのだろうか。除霊師では無いと言っていたし、いよいよ意味が分からない。蛍火もこんな怪しさ満載の男に患者の容態を教えたりはしないだろう。
次々と発掘される不思議、それに対する思考を遮るように三舟は言葉を続けた。あくまで穏やかに。
「そのぎ公園の怪異は通常の方法で除霊する事は出来ない。彼女等は所謂『神』のようなものだからね。しかし、彼女等は神であると同時に全くの有象無象でもある。彼女等を除霊する為の手順を知りたくはないのかね?」
「……それが本当だったとして、タダじゃないんでしょう。その口ぶりだと」
「そうなるな。とはいえ、話が早くて助かる。熱心に調べていたようじゃないか、例の怪異について」
三舟は皮肉っぽくミソギの膝に置かれた民俗学の本を見やった。
そう、2年程前からずっと『そのぎ公園』の怪異について調べている。とはいえ、何故か意図的に公園が設置される前に何があった場所なのかが伏せられており、芳しい成果は上げられていないのが実情だ。
民俗学に行き着いたのも、十束の証言で「よく分からない祠があった」との事だったから。何か、土着信仰的なものが根付いていた土地なのかもしれないと思ったのだ。
しかし、土着信仰などそれこそ星の数ほどもある。しかも、それらは大きな宗教とは違い文献が少ない。何故なら、信仰者達はそんなものを記録せずとも祈りの手順やら作法やらを知っており、忘れる事など無いからである。
謂わば、これは星の数からの逆引き。見つかるはずも無く、よしんば見つかったとしても「これは違う」と見過ごす可能性だってあった。
「本当は君だって分かっているのだろう? そんな事をしていたって、何年経とうと解決策は見つからないと」
「それをあなたが知っているのが、私には不思議で堪りません。けど、まあ、話だけなら……聞きますよ」
「そうこなくては。まあ、まずはこれを見てくれ」
淡々と三舟が高そうな革の鞄から薄い紙を1枚取り出す。一見すると契約書のようだが、何故か裏は真っ黒に塗り潰され物々しい空気を纏っていた。
「え、何ですかこれ。不気味なんですけど」
「誓約書、だ。ああ、サインする前にコレについて説明をしなければならないな。君達の大好きな機関特製の誓約書だよ」
「……? ……えっ。あ」
「そうそう。今、君が思い出して顔を青くしたそれだ」
絶対数3枚。
機関本部にて厳重に保管されている呪いのアイテムがある。青札30人を集め、日替わりで祈祷し作り出される絶対の誓約書。減れば補完されるらしいが、常に3枚より多い数にはならないように調整されている。持ち出しは不可。使用を申し出る際には何十枚という書類を作成しなければならない他、大抵の場合は使用許可が下りない代物だ。
その厳重さには理由がある。
この誓約書、約束を違えれば違えた者の心臓を止めるという究極の誓約書なのだ。つまり、上手くやればこの誓約書で簡単に人が殺せてしまうという訳である。
ただの機関七不思議の類であると思っていたが、相楽にその話をしたところ、否定されなかった。どころか苦々しい笑みを浮かべられたのだけは記憶に残っている。ああ、誓約書とやらは実在するんだな、と漠然と思ったのだ。