04.斧と水瓶
非常に焦った様子の相楽だったが、やはり年の功。この状況下でトキの吐き出した情報を完璧に理解し、そして対策を打ち出す。
「この先には池があるな、そっちの茂みを突っ切って、中央広場の方へ走るぞ! 確か、あの辺の地面はアスファルトだったはずだ!」
「了解。――南雲! ボンヤリするな、足を動かせ足を!」
「う、うっす」
恐怖と圧迫感で止まっていた足が弾かれたように動き出す。思いの外2人が冷静だったので、謎の安心感を抱けたからかもしれない。
自分を追い抜かして行ったトキを追う。その後を相楽が背後を警戒しながら続いた。
「足はあまり速くねぇんだな」
「しかし、雨ですからね。最早、奴はどこから湧いて出てもおかしくはない」
「そうなるな……。ったく、厄介な相手だよ」
鈍足だが瞬間移動的な力を有している。それがあの怪異の特色らしい。しかし、本当にそれだけだろうか。得体の知れない感覚が抜けない。
悶々と怪異の事を考えていると、膝にダメージを与えそうな固さの――アスファルトで輔導された道に出た。相楽の思惑通り、ランニングコースと比べれば水溜まりも少ないように感じる。ただ、勘違いしてはいけないのが、水溜まりの数がゼロではないという事。いつまたアレが現れるか分からない不安は相変わらず拭えそうにない。
「マジで魔境っすね、そのぎ公園……。俺、今日を無事に生き残れるのかな」
「しゃんとしろ、しゃんと。まだ公園に入ってから数十分しか経っていない」
「うう……。早く行方不明者見つからねぇかな」
ぐったりと溜息を吐く。本当は解っているのだ。
今日のこの仕事はそう簡単に終わるはずがないのだと。
***
細かい雨が降り続いている。踏みならされた柔らかい土が酷く自然的な臭いを放っているのが非常に不快だし、手荷物が重い。服もじっとりと水分を含んでいて酷く陰鬱な気分だ。
「最悪、もっと効率の良い方法は無いんですか?」
あまりの不快感に、ミソギはそう訊ねた。前を歩いている初老の男性は傘を差しているので自分程は濡れていないようだ。勿論、彼は他人に対して優しく出来る人間ではないのでその傘に多少なりとも雨に濡れている少女を入れてやろうという気概は無い。
スマートフォンを弄っていた男性――三舟がちら、とこちらを一瞥した。心底面倒臭そうな空気を纏っている。
「無いな。見ての通り、道も何もあったものではないのでね。軽車両も、自転車も使用出来ない。それ以外に使える乗り物の類がるのならば話は別だが?」
「すいませんね、面倒臭い事を言って」
「一番面倒なのは君だという自覚を持った方が良い。友人を無くすぞ」
地面を引き摺っていた手荷物を逆の手に持ち変える。それは泥塗れになっているが、知ったこっちゃ無いし三舟その人も特に何も言わないのでそのままだ。
この手荷物――小振りの斧。三舟からの借り物であるが、とても重い。一般的には薪割りの為の道具だがこんなにも重い物を振り回して薪を割っているのか。お疲れ様です。
「そのぎ公園、久しぶりに入りましたけど何も変わっていませんね」
「当然だな。君達がやらかしてくれた3年前の事件以降、立ち入り禁止になっている」
「私達がやらかした訳じゃなくて、怪異が悪いんじゃないですか?」
返事は無い。こうやって度々無視されるのでもう慣れてきた。
ところで、とこちらの話題をまるっきり無視した上で自ら話題を振って来る手腕。全く真似を出来たものではない。心中で皮肉を言っている間にも三舟の言葉を続く。
「君に話を持ち掛けた時、実は機関に報告される事も視野に入れていたのだがね。思いの外あっさりと事が運んで驚いているよ」
「機関に報告の前に、私の事を知ったように話し掛けて来たので危うく警察に突き出すところでしたけどね。もっと考えて女の子には話し掛けないと」
「女の子? どこにそんな殊勝な生き物がいるのか……」
この不審者ジジイ、相当に面の皮が厚いと見える。
昨日、雨宮の見舞いで病室にいた時に訪ねて来たのは彼、三舟だ。『供花の館』跡地に何故いたのかは教えてくれなかったが、あの時にいた人物と彼もまた同一人物だと自白している。
「事が運んで驚いているのも良いですけどね、ああいう言い方されたら黙ってやる事やるしかないでしょう? 雨宮を助ける為だったら、どんな事だって……」
「君は、そういう事をする類の人間ではないと勝手に思っていたのでね。少々意外だったという話さ」
――コイツは私の何を知っているのだろうか。
胡乱げな視線をその背に向けたが、当然答えなど分からない。他人の事を知ったように語る事で、入手し辛い個人情報を手に入れようと目論んでいるのだろうか。
「そら、2つ目だ」
その言葉で我に返る。目の前には大きな蓋のされた水瓶が中程まで地面に埋まっていた。人がすっぽりと入るサイズだろうか。
「何でこんな物があちこちに埋まってるっていうのに、公園に来た人達は気付かなかったんでしょうね」
「気付かなかったのではなく、まさか物騒な怪異の発生源だとは誰も思わなかったのだろうよ」
「……それもそうか」
斧を思い切り振りかぶったミソギは、水瓶にそれを振り下ろした。重々しい音を立てて、陶器の水瓶が砕け散る。原形が残っていたので、もう一度斧を振り下ろした。
砕けた水瓶から、まるで血肉のような赤い何かが溢れ出る。同時に腐臭が漂って来たような気がして顔を背けた。思い込みとは恐ろしいものだ。腐る段階など、とうに通り越しているはずなのに。