6話 開かずの間

06.南雲の有効な使い方


 カミツレと朝日がスマホを覗き込んで相談を始めたのを見計らい、そこからそっと離れたミソギが近付いて来た。今度は何だ、と思わず身構える。
 何とはなしに申し訳無さそうな顔をした彼女はこう口火を切った。

「あの、八つ当たりしてごめんね。状況が意味不明過ぎて、情緒不安定になってたのかも」
「そ、そうか……」

 まるで先程とは別人のような言葉に嫌な悪寒が走り抜けるのを確かに感じる。一度退いておいて、とんでもない事を言い出しそうな、予感。
 僅かに顔を伏せた彼女の表情は限り無く無だった。
 普段は温厚で除霊師であるにも関わらず怪異に怯え、常に元気に叫んでる――
 気付く。そんなものは彼女の一面に過ぎず、彼女もまた人間らしく多面的な面を持っていたのだと。

「それで、少し考えたんだけど……。このお仕事が終わったら、別行動にしよう? 最近トキに酷い事を言っちゃうし、その方が互いの為になると思う。何だかんだ言って、十束も最近は私達と連まなくなったでしょ? やっぱり、いつも同じ人と組むとさ、トラブルの元になると思う」
「…………」
「トキも雨宮の件以降、ピリピリしてるみたいだし。要領の悪い私と一緒にいるから、きっと余計に苛々してるんだね。私も、正直トキの言葉を自分の中で良い方向に変換する余裕は無いから……。このままダラダラこんな生活を続けてたら、致命的な喧嘩になりそう。あの、誤解しないで欲しいんだけど、私はちゃんとトキと友達でいたいからこそ言ってるんだよね。その辺は勘違いしないでよ」
「…………」
「聞いてる?」

 ――聞いている、と心の中だけでそう呟く。
 唐突に大量の情報が流れてきたせいで、脳内処理が追い付かない。
 それはつまり、現状から開放されるという事だろうか。いや、開放という表現は正しくないのかもしれない。自分の心も分からないが、それ以上にミソギの考えている事も分からない。
 そもそも、ミソギは原則単独行動は禁止だ。これは自分が決めた事ではなく、相楽が決めた事である。勿論、どうしても組む相手がいなければ一人ででも仕事へ行かなければならないが、相楽曰く「人間は本当に恐怖を感じている時、声が出なくなるものだ」という事らしい。

 思考が纏まらないうちに、再びミソギが畳み掛けるように言った。

「最近はよく分からないけどさ、トキと組んで仕事をするのは楽しかったよ。頼りにはなるしね! 私がいつか、落ち着いたら……また仕事に誘っても良い?」

 一方的に話が終わる。「ああ」、と返事をしてしまいそうになる。
 それは屈託さの中に、少しばかりの哀愁と哀惜と、その他諸々。ありとあらゆる感情を詰め込み煮込んだ、自分が持つ感情の量を遥かに凌駕したような――そんなあらゆるものを綯い交ぜにした、笑み。

「じゃあ、そういう事で――」
「い、いや待て」
「はい?」
「お前の話は性急過ぎる。頭を整理させろ……」
「ああうん、どうぞ」

 何か話が終わってしまうのは大変まずい気がしたので待ったを掛ける。向こうはすでにどうするべきか考えて話をしているのに、話を持ち掛けられた方は唐突過ぎてその言葉を鵜呑みにするしかない。ここで流されてはいけない気がする。
 しかし、不覚にも彼女が言う事は至極正しい。彼女といる事で、自分が『何か』を我慢しているのは確かだ。それが何なのかは分からないが、このまま変わらず仕事を続けるのは無理があるだろう。

 不意に南雲の言葉を思い出す。具体的にどうすれば良いのかは分からないが、今この場での解決策を一つだけ具体的に思い付いた。

「ミソギ」
「何?」
「私が、お前の取る態度に対して何らかの我慢を強いられている。それは事実だ」
「そうだろうね。私の相手を私がしていても相当腹立つだろうし」
「私は元来、堪え性がない性分だ。恐らく――これが他人であったのならば、早々に見放しているだろう。だが、すでに数週間私はお前の面倒臭い性格に付き合っている。それは揺るがない事実だ」
「……そうだね」
「今ここで手を離せば、二度と噛み合わないような、そんな気がする。いつか私の我慢が実を結ぶと信じて。私はお前のやらかすあらゆる事に対して我慢し続けよう」
「いや、それ何の解決にもなってないから! 根性論はね、人の心を殺すよ。人間は根性じゃ生きてはいけないんだから」
「いや、南雲を呼ぶ」
「は?」
「南雲を呼ぶ。あれも一人で仕事はしたくないと言っていたし、まあ、なかなかに人間関係それにおいては私達より達者だ」

 今までは4人、または3人で仕事をしていた。言わずともがな、同期の面子でだ。それがいきなりツーマンセル固定になれば問題が起きるのは必然。
 ではどうするか。遠慮なく南雲をこの闇鍋に投入すればいい。

「私が取り憑かれてる間に、色々あったみたいだね……。私はトキを懐柔している南雲に、純粋な賞賛を送りたいよ」
「いや、アレを懐柔したのは私だ」
「どうかなあ……」

 ところでさ、と僅かに真剣なトーンに戻ったミソギが訊ねる。

「どうしてそこまでするの? トキ、そんなタイプだったっけ? 去る者追わず、って感じじゃなかった?」

 その言葉にはたと手を止める。そういえば、必死にミソギの馬鹿な発言を回避する方法を捻出したが、その原動力は何だっただろうか。友達だから?
 いや、それ以前に今日は1日ずっと彼女に振り回されていたようなものだ。学校へ入った時の小さな喧嘩に始まり、別棟ではぐれて大急ぎで捜す事になったり、ついでに取り憑かれた彼女を全力疾走で追ったりもした。
 そこに動力など無かったはずだ。全て無意識、いなくなったから捜した、開かずの間へ行こうとしたから追った。
 だが、多分それらこそ行動の原理であり、全てではないだろうか。

 不意に、先程、浅日の言ったなんちゃってアドバイスが甦る。
 同時に霊障センターの白い壁とベッド。そこに横たわる別の友人の白い顔が過ぎる。

「ミソギ、お前が無事で良かった。つまり恐らく、そういう事なのだと思う」
「えっ!? あ、はい……」

 驚いた――否、驚愕、愕然としたように頷いたミソギは一拍を置いて、その手を自らの頬に当てた。そのまま照れたように笑みを浮かべる。ああそういえば、研修時代の彼女はこんな感じだったかもしれない。