05.生首と返す手の平
「おい、立て。座っていてもここからは出られないぞ」
励ますとか慰めるとか、やりようは幾らでもあっただろうにトキの口から飛び出したのはそんな言葉だった。声音に僅かながらの困惑が含まれており、「コイツは何をいきなり座り込んでいるんだ?」、とでも言いたげなニュアンスだ。
案の定、憤慨したようにミソギが声を荒げる。
「立って動いてたって出られないじゃん! なら、下手に動き回らない方がいいんじゃないの!?」
「……? 何を苛立っているんだ、お前は。駄々を捏ねていないで早く立て」
「駄々なんて捏ねてないよ! 私を馬鹿にするのも大概にしたらどう!?」
「ええい、鬱陶しいな! 意固地になるな、状況を見ろ!」
――ヤッベェ、何か始まった! 何か始まったぞこれ!
啀み合う2人を見て胃が痛くなってくる。何か、致命的にどこかが噛み合っていない、合わない歯車のように歪な何かが彼等の間にはあるのだろう。しかし、今出会ったばかりの第三者である自分が解決出来るような問題でもない。
どうすべきか考えている間にも、両者の言い合いはヒートアップしていく。
「そんなに先に進みたいのなら、1人で行けばいいじゃん! 南雲くんも連れてさあ!」
「ふん、怖がりのくせによくも大口を叩けたな」
「だって、廊下はずっと続いてるんだから結局はここに帰って来ちゃうもんね? ハムスターの回し車みたいな事をずっとやってればいいよ、トキなんか!」
「いい加減にしろよ、お前とじゃれ合っている暇は無い!」
「じゃれ合ってる? これのどこが? 私の事、馬鹿にしてるんでしょ、さっきから! ううん、さっきからじゃない。この間からずーっと!」
「被害妄想は止めろ。そういうつもりは無いと、前にも言ったはずだ!」
どうしたものかと視線をさ迷わせる。
その拍子に長く続く廊下が目に入った。電気も付いていない暗い学校は、廊下の先もよく見えない。しかし、確かに廊下で何か――ボールのような物が跳ねている事に気付いたのだ。
何故こんな所にボールが? そもそも、誰も使っていない、触っていないボールが独りでに跳ねる事などあり得ない。
「ね、ねぇ。ちょっと、言い争ってる場合じゃねぇってこれ……。あれ、見ろよ、あれ! 何かあるだろ何か! ちょ、マジで!!」
「騒々しいぞ、何だッ!」
吠えるように応じたトキが指さした方向を見る。しかし、泣き言のような声を上げたのはミソギの方だった。
「ひぃ……。な、何あれ!? か、怪異? 勘弁してよ、もう……」
「あれがループの原因か? ふん、消滅させてやる」
好戦的な言葉を吐き出したトキが、霊符を数枚取り出した。応戦する気満々なのに嫌な汗が滲む。今すぐ逃げ出してしまいたが、生憎と廊下はループしているので逃げ出す事は叶わない。
相変わらず跳ねるように移動するそれは不意に空中で制止した。最早それがボールでない事は明白だ。
「ねえ、あれ、人の首じゃない? 気のせいかな……」
「え!? 人の首!? ま、マジかよ……つか、ミソギさん目ぇいいな」
「2.0あるから、視力」
目を凝らしてみるが、ゲームばかりやっているせいか視力の良くない南雲にはそれが人の首であるのかは判断出来なかった。しかし、ボールにしてはやけに凹凸のある形だとは思う。
「――うわっ!?」
更にそれが接近して来た。暗闇の中に浮かび上がる一対の目が見える。
中年男性のような、生首。それは爛々と血走った目でこちらを見、徐々に徐々に近付いて来ている。
「あああああああ!? マジだ! マジで生首じゃねぇか、エグうううう!?」
「黙れ、南雲ッ!!」
煩い、と怒ると同時トキが霊符を飛ばす。しかし、生首はすいっと軽快な動きでそれを上手い事躱した。的が小さい上、機敏な動きに霊符を飛ばした本人もまた苦々しい顔で舌打ちする。
生首の爛々と輝く瞳が、一際大声を上げた南雲へと向けられる。隣に立っていたミソギが小さく息を呑んだ。
――と、次の瞬間、生首がぐんっと速度を上げて迫って来る。
「ぎゃああああああ!?」
ミソギと悲鳴が全く被った。思わぬ二重奏に、トキが顔をしかめて耳を押さえる。こちらへ首だけで突進して来た怪異もまた、思わぬ高音と低音の二重奏に面食らったのか、まるで壁にでもブチ当たったかのように跳ね返った。干し草が転がるように廊下を転がって行き、やがて見えなくなる。
何がしたかったのかイマイチ分からない怪異の行動に、一瞬だけ恐怖が薄れた。大層な悲鳴を上げてしまったのが情けない気持ちになってくる。
「ふん、消滅しはしなかったのか。大した怪異だな。七不思議の類か?」
「俺等の悲鳴だけで、怪異が消滅する訳ねーじゃん」
「ミソギの絶叫には霊力がある。それで消滅しないのであれば、あんなのでも強力な怪異だったという事だ」
「え!? じゃあ今、怪異が逃げて行ったの、ミソギさんのお陰!?」
ゲンナリした顔のミソギがのど飴を口に含みながら、「多分……」、という曖昧な言葉を溢す。しかし、思わぬ展開に南雲は歓喜の声を上げた。
「えええ!? スゲェ、メッチャ便利じゃん! 霊符無くても何とかなる奴じゃねぇっすかそれ! 実質コストゼロ! 超生産性あるじゃねぇか!」
「いや、だいぶ喉やられるからね?」
「アンタ、最初かなりビビってたからぶっちゃけ何しに来たんだろと思ってたけど、なるほどな! 態とか! じゃねぇと、怪異と出会って叫ぶなんて出来ねぇし! 超見直しました、今日から先輩って呼びます」
「手の平返しが鮮やかすぎるわ。というか、私の事そんな風に思ってたの?」
怪訝そうな目を向けられた。よく「手の平がドリルみたいによく回転するね」、と言われるがそれは勘違いだ。一度返した手の平は、あまり返さない。それが自分である。