1話 アルバイト先の先輩がやたらと前世の話をしてくる

13.仕事の難易度


 一般人が持つ、異形の基本知識としては。そもそも異形が元々は人である事、そしてベースになった人物の意思力の強さによって異形に変異した時の異形の強さに影響をする事くらいだろうか。
 見た目でその異形が強いかどうかは分からないが、人型に近い程危険だとこの間のテレビで解説していた。
 また、人は異能を最大で3つまで持てるらしいが、異形となった人間は必ず異能を3つ持っているだとか、一般人には本当かどうか判断の出来ない情報も流れている。

 では、この目の前におわす異形はどうなのか。
 ギイィイイイイィ、と人だったとは思えない鳴声のようなものを漏らし、理性の欠片も感じられない。下水の汚泥が意思を持って動いているようにしか見えない形状。どう見たって、上記に上げた危ない異形には当て嵌まらない特徴だ。端的に言えば、多分弱い。

 ――Cランクの対策部職員ってこんなクソ雑魚っぽい異形にも勝てないの?
 大変失礼だとは思ったが、そう考えずにはいられなかった。完全に大人を舐めているとしか思えないが、一般人の出雲でも倒せそうなただの汚泥。

 悶々と足下にべちょっと広がる異形を見ていると、それまで無言だった日向が不意にポツリと呟いた。

「これは俺が出る仕事だったか……?」

 ――うん、同じ事を考えてたわ。
 ただ彼の呟きにはあらゆる感情が乗っていた。困惑と落胆と、筆舌に尽くしがたい感情の数々。彼もまた思うところがあったのだろう。
 しかしそこは大人。緩く首を振った彼はすぐに切り替え、平時と同様の明るい声を上げた。

「すまない、お前に割り振れそうな仕事が見当たらないようだ。待機していてくれるか、出雲」
「はい」
「はっはっは! 報告書を書く方が時間掛かりそうだな」

 明るい笑い声を上げながら、日向が右手を緩く挙げる。瞬間、視界の端で網膜を焼くような光が弾けた。弾けた、と理解した瞬間には全てが終了していた。
 足下にいた汚泥のような異形が一瞬で霧散し、蒸発。そこには汚泥の飛沫で大雨の直後のように汚れた地面だけが横たわっていた。

「……え?」

 恐らくは光を使う系の異能。それしか分からないが、恐ろしく暴力的な異能と言える。最早、光明院日向にとって機構の対策部という職業は天職なのかもしれない。

「さあ、出雲。帰るとしよう」
「これ、私が居る必要ありました?」
「今回は特別大した事の無い異形だったからな。初めての仕事と思えば丁度良い難易度だったかもしれないな。まあ、確実に俺の仕事では無かった気がするが」
「はあ……」
「しかし、報告書の方が面倒臭そうだ。先に到着していた負傷者達に任せ……られないか。はあ」

 本当に面倒臭そうだ。報告書とやらが何を報告する為の書類なのかにもよるが、異形の特徴などを報告しなければならないのなら、負傷者に話を聞いて回らないといけないかもしれない。何せ、一瞬で決着してしまったので。覚えている事と言えば汚泥のような形状だけだ。

「ところで出雲、昨日話をしていた夕飯の件だが」
「すいません、今日は家族とご飯を食べるので」

 言い訳に関してか、日向は僅かに目を見開いた。

「そうだったか。いや、是非とも家族と食卓を囲んでくれ。家族との団欒が素晴らしいものであると知って欲しい」
「そ、そうですか……」

 勿論、家族云々の話は大嘘である。我が家にそんなほっこりするイベントは存在しない。養父は常に仕事でいないし、そもそも別居中だからだ。
 唯一嘘でない点があるとすれば、今日は七芭が夕飯を作りに来ると言っていたので夕飯の準備そのものは恐らく終わっているという事。それだけだ。それだけなのに、あまりに穏やかな様子の日向を見ていると酷い罪悪感に苛まれる。嘘を吐いてこんなに後悔したのは生まれて初めてかもしれない。

 しかも追い討ちを掛けるかのように、日向は更にその話題を広げ始めた。

「今世は家族がいるんだったな。あまり仲良くないかと思っていたが、家族は大事にして欲しい」
「どうも、ありがとうございます」
「お前のシフトは21時までか。それまでに俺は報告書を仕上げ、定時で上がれるように頑張ろう。そうと決まれば早く執務室へ戻るぞ!」

 その後、手早く事後処理の指示を担当部門に任せた日向と共に職場へ帰還。宣言通り早急に報告書を上げた上司のお陰で、定時より30分も早く帰って良いと許可が下りてしまった。罪悪感で胃が潰れそうだ。