5話 供花の館

14.怪異『キョウカさん』


「相楽さん、何か落ちましたよ」
「あ?」

 首だけ振り返ってその様子を見ていたトキが冷静にそう指摘した。慌てて下を向いた相楽が、もう1枚重なっていたであろうその紙片を拾い上げる。

「ミコちゃんによると、日記は残り1枚だったはずなんだが……あ。これ日記じゃねぇわ」
「ええ? 何ですか何ですか? 何かヤバイ、見たら死ぬ呪いとかが掛かった紙ですか!?」
「怖い事言うなよ! いやこれは……設計図、か。人形の。こんなん、家から出て来ただけで警察から取り調べ受けそうだな」

 難しい顔をした相楽がまんじりとそれを眺めていたその時だった。廊下からコツコツ、という足音が聞こえてきたのは。それは、2階で『キョウカさん』と出会した時によく似ている。逃げ場が無いところなんかが特に。
 トキが舌打ちして、持っていた模擬刀の柄に手を掛け、部屋の中程まで下がった。ミソギもまたそれに倣う。入り口付近に突っ立っていると、『キョウカさん』がいきなり現れた時に対応出来ないと考えたのだ。

「相楽さあん! マズイですヤバイです、来てますよ、あの人が!!」
「分かってる! だが……これが解ければ或いは」

 相楽は人間人形に近付き、顔を覗き込んでいる。『不幸女』の方では無く、もう一体の方だ。

「ミソギ、応戦するぞ」
「ああああ、遭いたくない……!」
「腹を括れ」

 何の足しにもならないだろうが、心の安定剤にと霊符を取り出す。今週は本当にありとあらゆる場面でお世話になった、有り難い霊符である。

 ゆらり、ゆっくりと小動物を追い詰める肉食獣のように『キョウカさん』が姿を現す。殺人鬼と名高い八代京香、その成れの果て。
 彼女は低い嗤い声を漏らしていた。その声を聞くだけで、背筋に嫌な悪寒が走る。空間そのものが押し迫って来る感覚に、短い悲鳴が漏れた。同時、彼女に触れられた手首がじんわりと熱を持つ。

「さ、相楽さん、まだですか!?」
「待ってろ! 『キョウカさん』の執着するこの子の人形を完成させれば……もしかしたら」
「ええ!? 大丈夫ですか、それ!」
「じゃなかったら、ここに設計図なんぞ落ちてないだろ! ……と、信じたい」

 ちら、と相楽を見ると、蹲って落とし物の荷を解いているようだった。駄目だ、どう足掻いても一度は『キョウカさん』と真正面からやり合わなければならないに違い無い。

 迷っていると、果敢にもトキが模擬刀で『キョウカさん』を斬り付けた。しかし、怪異を斬り裂く為に拵えたはずのそれは、彼女に傷一つ付ける事は無い。弾かれたようにミソギもまた霊符を飛ばしたが、怪異に辿り着くより先に燃え尽きた。
 心なしか愉快そうに嗤いながら、『キョウカさん』がまた一歩距離を詰める。

「と、トキ! どうしよう、何も効かないよコレ!?」
「どうしようも無いな……」
「冷静に諦めが早い!」

 じりじりと手首が痛む。それに反応するかのように、『キョウカさん』がその足をこちらへ向けた。にんまりと口が裂けそうな程の笑みを浮かべた彼女は、どこか恍惚とした声を漏らす。

「その手首は……美しく、ない……切り落とさ、な、きゃ……。私の……作品……私の人形」
「ひっ……!? い、いやそれは私じゃないよっ!」

 ゆっくりと後退して距離を詰められないようにしているが、このまま彼女を躱してしまい、相楽の元へ行かれたら危険だ。これ以上下がる事は出来ない。
 模擬刀は諦めたトキが、横合いから『キョウカさん』に強烈なタックルを見舞った。
 まるで死体のように無造作に転がって行く彼女を茫然と見送る。しかし、転びはしたがダメージそのものは無いようだ。怪異が何事も無く再び立ち上がる。

 ゆらり、蜃気楼のように彼女の姿が揺らいだ。どこへ――

「私の作品、私の私のわたしのわたしのわたしのッ!!」
「ひぎゃあああ!? 私はあなたの作品じゃないからッ!!」

 後ろ、耳元から声は聞こえた。思わず叫んで腕を思い切り伸ばす。冷たく鈍い感触と共に、『キョウカさん』がふらついた。好かさず逃げだし、彼女から距離を取る。

「霊障か。触っただけでよく無いようだな」
「うわっ、どうしたのそれ!」

 怪異にタックルをお見舞いしたトキは彼女に触れた部分全てが黒ずんでいた。服に隠れて見えないが、恐らく肩口から右腕は全て霊障に侵されているに違い無い。
 しかし、トキはこちらを指さして恐ろしい事を口にした。

「おい、お前も人の事は言えないぞ。鏡を見てみろ、表を歩けない顔になっている」
「え、う、嘘……」

 ――触っただけで、霊障。しかも地味に痛い。
 ゴリゴリと命を削られていくような、身体の一部によくない物質を浴びたような謎の緊張感。

 相楽はどうなったのかと首だけ動かしてそちらを見ると、ガラスの眼球を例の人形にはめ込んでいるところだった。成る程、あの落とし物は完成していない『キョウカさん』の作品を完成させる為のものだったのか。
 しかし、精神的に来る作業なのだろう。相楽の顔色はあまり良いとは言えなかった。ついでに神経も使う作業らしく、手は僅かに震えている。

「ああ……!」

 思いの外嘆くような、哀しむような響きで我に返る。
 声を発したのはゆっくりと再び立ち上がった『キョウカさん』だ。何故だろう、顔を覆い嘆き悲しんでいるのが伺える。

「私の作品……私が触ると、醜くなってしまう……。何故、どうして、私はただ……完成させたいだけなのに……!」

 霊障を起こしているのは『キョウカさん』自身である。
 その事実をトキは鼻で嗤って一蹴した。

「芸術家根性は素晴らしいがな、貴様のやっている事はただの犯罪。芸術の為になら他人を殺しても良いと言う貴様の主張はどこへ行っても受け入れられん。諦めろ」