5話 供花の館

15.八代京香と少女


 もう一度相楽の方を振り返る。今は白百合と白菊を持って設計図と睨めっこしていた。もう少し掛かりそうだ。

「トキ、あまり刺激しない方が良いんじゃない?」
「……このまま様子を見る」

 ぴたり、と顔を覆って肩を振るわせていた『キョウカさん』の動きが止まった。酷くゆっくりした動きでその手が顔面から離れて行く。彼女の目は今まさに設計図通りに事を進めていた相楽へと向けられている。

「ねぇ……私の、私の作品に……何をして、いるの……?」

 ――あっ。
 狙いが相楽に代わった事を早々に察知したミソギは、慌てて再び霊符を飛ばすが全くの無意味。

「触るな、触るな触るな触るな! 私の作品に、触るなッ!」
「いったい!? え、なになに? 痛いんだけど!」

 手首が痛い。先程、彼女が囁きかけて来た時に憑いたのだろうか。顔の半分もじりじりと痛みを訴えている。霊障の主である『キョウカさん』が激昂した事で何か良くない方へ作用した事は明白だ。
 ――どうしよう、このままじゃ相楽さんが!
 慌てふためいていると、膝を突いたトキが叫んだ。

「貴様がそれに触ると、黒くなって崩れ落ちるぞ!」
「えっ……」
「忘れたのか馬鹿め。貴様のような卑しい殺人鬼が、それに触れると私達のように黒い染みを作る事になると言った。というか、それを見ていたはずだぞ? 死んで鳥頭にでもなったのか?」

 霊と対話している。大抵の怪異及び霊は人の話を聞かないが、彼等彼女等はこの世に未練を持って顕現している以上、琴線がある意味露出している状態だ。裏を返せば、琴線に触れるような言葉を聞き流す事が出来ない。
 上手い事それを利用したトキだったが、それでも『キョウカさん』は迷い倦ねているようだった。相楽を襲うべきか、トキの言葉に倣い、足を止めるべきか。

 しかし、怪異が決断するより早く、相楽が「完成した!」、と歓喜の声を上げる方が早かった。

「見ろ! お前が作りたかったのはこれだろ!? とっとと成仏するなり何なりして、消えてくれ!」

 ぐったりとした調子で相楽が叫ぶ。
 それは確かに『不幸女』のように飾り着けられた少女の遺体だった。日本人にあるまじき青いガラス眼球はしかし、何故だか違和感が無い。『不幸女』のように顔面を片方潰すのではなく、葬式のように飾られた花は生前の少女が今は亡き存在になっている事を主張するかのようだ。
 最早それは人形だとは言えない。これは人間だ。八代京香は美しい人形が欲しかったのではなく、美しい少女の遺体が欲しかったのではないだろうか。

「ああ……! ああ、あの子だ……あの日、階段から、落ちた、あの子……だ……」

「えっ!?」

 その意味を問い質すより先に、『キョウカさん』は淡い光の粒になって消えてしまった。それと同時に、温い風が頬を撫でる。
 瞬きした刹那には、『供花の館』は跡形もなく消えていた。唐突に外に放り出され、茫然と立ち尽くす。

 そこは更地だった。かつては何か館が建っていたのかもしれないが、今は何も無い。

 ゆっくりと周囲を見回せば、1階で待っているはずだった他の面々もぼんやりと突っ立っていた。異界から抜け出したらしい。

「――最期の言葉、あれ何だったんだろうね」
「『少女』だけは事故死だったのかもな。だが、他にも大量の殺人を犯している。奴に同情の余地は無い」
「まあ、言ってしまえばそうだけど」
「何か悲しくて犯罪者の亡霊モドキを成仏させなければならなかったんだ。最初から最後まで胸糞の悪い怪異だったな、八代京香」

 はぁ、と刺々しい息を吐き出すトキ。不正を許せないタイプである彼は、この手の怪異が大嫌いだ。今に始まった事では無いので、ミソギは曖昧な笑みを返す。彼は引き摺らない質だし、ここから下りて支部へ戻る頃には今日の一件など気に掛けなくなるだろう。

「おい」

 呼ばれて我に返る。トキの手が伸びてきて、僅かに頬に触れた。

「消えているな、霊障」
「本当? あ、手首のは無くなってるね。少し赤くなってるけど。トキの腕も治ってるじゃん。あれかな、霊障の本体が消えたから、私達のもすぐに治ったとか?」
「…………」
「トキ?」
「……さあ、どうだろうな。霊障の事は私に訊かれても知らん」

 非常に珍しい事に、何故か言い淀んだ。意味不明な気まずい空気が満ちたものの、ご無沙汰していた南雲が乱入した事で有耶無耶になって流れ、消え失せる。

「センパーイ! 無事で良かったっす!! 俺、もうガクブルでしたからね、ホント! ガチで!!」
「何故お前が震えるんだ。意味が分からん」
「地味に待ってる時間とか怖くないすか? こっちにも『キョウカさん』が現れる可能性あったし。「貴様等全員皆殺しじゃ……」、って『キョウカさん』が考えていないとも限らないじゃないすか!」
「アグレッシブ『キョウカさん』過ぎるでしょ、流石に……」

 あの声で南雲の台詞が再生されてしまい、ゲンナリした気分になった。コイツ、怖がりのくせに怖がっている時も愉快な事を考えているのはどうにかならないものか。
 それにしても今日は疲れた。誰か夕飯奢ってくれないかな。ミソギはこっそりと溜息を吐いた。