4話 天国への階段

09.墓参り


 どのくらい走ったか分からない。
 前を軽やかに駆けるミコを見ていると大した時間は経っていないように思えるが、足を動かしている自分の姿を俯瞰的に見るとかなり走っている気もする。

「あとちょっとですっ!」

 もう何度聞いたか分からないミコの声援。いつも特にあとちょっとだとは思えなかった言葉が、急に真実味を帯びた。
 頂上が見える。階段の終わりが見えたのだ。
 ゴールがチラ着けばそれまでより足が動くのは必然だった。自然、走る速度が上がる。

「や、やっとどこかに着いた――って、どこだよここ!」
「ゴールインですよ、ミソギさんっ!」

 絶妙な合いの手と応援で上手い事人の限界を超えさせる達人、ミコ。彼女の何でも無いような声音でまだ行ける、まだやれると言われると何故か出来る気分になってしまうのだから恐ろしい。
 立ち止まった所で喘鳴を漏らしながら、全く予想だにしなかった周囲の光景をまじまじと見つめる。振り返れば、例の怪異は少し離れた所でこちらを伺っていた。その足は完全に止まっている。

「これは、お墓?」

 墓地ではなく、墓石がポツンと立っているだけ。まるでその墓と周囲の数メートルだけが、切り離された空間のように唐突に墓があるのだ。
 当然、相楽達は見当たらない。
 意味不明な状況だがしかし、ミコにとってそれは当然の結末だったのだろうか。彼女はにこやかな笑みを崩さないままに、白い指でミソギが持っている供え物の篭を指さした。

「さあ、お供えしましょう。彼女の為に健やかで健全な未来を願い、見送らなければなりませんっ! 現実から逃れる事など、所詮は出来ませんからねっ!」
「う、うん?」
「さっきも言いましたけど、私の姿は彼女に見えていませんよ。お供え物は、ミソギさんの役目ですっ!」
「分かった……。まあ、『質問おばさん』の時にドア開けさせられたのよりマシだわ」

 後ろをもう一度だけ確認する。怪異はどこか挙動不審にその場を行ったり来たりしているだけだった。

 背を向けたくは無いが、墓前に供え物をする為には、どうしても一度怪異に背を向けなければならない。色々と嫌な妄想をしつつ、生汗を掻きながらつま先立ちで墓石の前まで移動した。
 お線香を立て、手を合わせてお参りし、そして供え物を置く。このへんのルールというか、作法が家で違うのは困る。我が家ルールというのをどんな家でも持っており、そう大きく作法が変わる事は無いが、アクションが前後する事もままあるからだ。

 ――と、手を合わせて黙祷している間に細々した事を考えていた。
 しかし、耳元で聞こえた声に、心臓どころかお得意の悲鳴すら止まる。

「ねぇ、私……もう、死んでいたの……?」
「っ……!?」

 慌てて振り返る。そこに例の怪異は居なかった。けれど、冷たい風が何よりも雄弁に、今まで彼女が真後ろに立っていた事を物語っている。

「な、なんなの……」

 再び墓石の方を向いて、そして絶句した。
 先程参ったはずの墓が跡形もなく消えている。いきなり撤去された、という訳では無く、最初から存在しなかったかのようにだ。

 ここは何だったのだろうか。周囲にはさっきから自分達が上っている、味気ない石段があるのみだ。隣に立っていたミコがぐぐっと背伸びをする。

「さあ、上ってしまいましょうか! 相楽さん達、きっと私達の事を心配していますよっ!」
「いやごめん待って。今のは何だったの?」
「ごめんなさい、私にも分からないんです。館へ入って、もっと情報を集める事が出来れば、視る場所も増えるんですけどねっ!」

 ミコの予知は万能ではあるが、全能ではない。青札の中でもかなり奇異な力を持つ彼女であるが、出来ない事は実の所かなり多いのだ。

 気を取り直して、上を見上げる。すでにゴール地点は見えていた。心なしか、聞き覚えのある大声も聞こえる。ミコの言うとおり、自分達がいきなり行方不明になったと思って捜しているのだろう。

「ああ、もう一頑張りするかなあ……」

 ミコと2人、階段を上りきると一番に声を上げたのは十束だった。

「ああっ!? お前達、今までどこにいたんだ!? 急にいなくなって驚いたじゃないか!」
「見つかったか!? もう! 寄り道でもしていたのか? 何かあったのなら、声を掛けろ!」
「センパーイ、無事で良かったっす! もう俺、一度今から階段を駆け下りようと思ってたんすよ!?」

 鵜久森の綺麗な顔に汗の玉が浮いているのが見える。ミコの言うとおり、大騒ぎになっていたようだ。
 声を掛けたけど誰も気付いてくれませんでした、と言い訳する気力も湧かない。何と驚くべきことに、メインの館にはまだ一歩も入っていないという事実が精神面に重くのし掛かる。
 十束達の言葉にぐったりと片手を挙げて応じた。酸素が足りん。

 ――が、ここで人の機微を察せ無い事に関しては右に出る者が居ないと有名なトキがゆらりと現れた。話を聞くのが今から面倒に思えるくらいには、眉間に深い皺が刻まれている。

「おい、簡潔且つ明瞭に起きた事を説明しろ……ッ!」
「ま、マジギレしてるヤツじゃないすか、先輩!?」

 ヒェッ、と何故か南雲まで蒼白な顔。
 何か言わないと間違い無くしばかれる。そんな危機感に襲われ、ミソギは急ぎ息を整えた。しかし、体力が有り余っているミコの方が、彼の怒り心頭といった態度に気付かず状況を説明する。

「それがですねっ! ミソギさんが、怪異に絡まれてしまったので、一緒にお供え物をしてきましたっ! もう彼女は私達の前に現れる事は無いと思いますよっ!」
「……正直に答えろ、巫女。貴様まさか、その怪異が現れると分かってミソギを盾にした訳ではないだろうな……」
「何ですかその発想、怖いっ! しませんよ、そんな酷い事っ! 私は、直前に視た光景に従って、ミソギさんと一緒にお墓参りに行って来ただけですっ!」

 暫く親の敵でも見るかのような目でミコを睨み付けていたトキだったが、不意にその目を逸らす。

「分かった。……感謝する、有り難う」
「いいえっ! 階段も無事に突破出来て良かったですっ! というか、トキさんのデレの破壊力凄まじいですね。普通にきゅんきゅんしました」

 何だか分かねぇが、と相楽が不意に呟いた。

「えらい疲れてるみたいだけどな、今からが本番だぞ」