04.301号室
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――霊障センター。
一般的な病院では治す事の出来ない、怪異による霊障を癒す為の施設だ。機関支部の周辺に必ず一軒は建っている。
トキを連れてセンターへやって来ていたミソギはエレベーターの上ボタンを押した。先程購入した、小さな花束が揺れる。
「雨宮の病室は1階だったはずだ」
「先週、3階に移動したんだって。1階は早期退院の人専用にするらしいよ」
「……そうか」
エレベーターの横、無心で壁紙を貼り替える業者の姿があった。恐らくまた、『人の顔に見える染み』でも壁に浮き上がって来たのだろう。壁紙の業者はまず間違い無く一般人なので、恐々としながら依頼を受けているに違い無い。
やって来たエレベーターに乗り込む。基本的にトキはセンターであれ普通の病院であれ、どことなく粛々とした空気の場所が苦手だ。静謐を好むように見えて、普段は煩い人間が黙り込まなければならない空間を嫌う。
お陰様でエレベーターの中は嫌な沈黙が満ちていた。会議室を出る時、南雲を咄嗟に連れて行こうとしてしまったが、彼はここに呼ばなくて正解だったのかもしれない。
エレベーターが3階に到着した。嗚咽を漏らしながらエレベーターに乗り込む若い夫婦らしき人物達とすれ違うのを、横目で見送る。
「トキ? 301号室だよ、ボーッとしてないで早く行こう」
「……ああ」
辿り着いた雨宮の部屋は個室だった。重い鉄製の引き戸を開け、中へ入る。薄いカーテンを越え、少し大きめのシングルベッドに辿り着いた。そこにいつも通り、全く何も代わり映え無く横たわる彼女を認め、ミソギは声を掛ける。
「お見舞いに来たよー。お昼はまだ食べてないけど、下でお弁当買って来ようかな。ああでも、雨宮は食べられないけど」
「おい」
「あ、花瓶に花を活けて来るから。これ持ってて」
何か言いたげなトキを無視。持って居た鞄を投げ渡す。
見ると、花瓶にはまだ新しい花が活けられていた。白い花だが、名前は何と言っただろうか。少なくとも、自分が持ってきた花ではないので十束あたりが見舞いに来ていたのだろう。トキが1人でここまで来るとは思えない事だし。
少し枯れかけている花を抜き取り、花瓶に新しい水を入れ、購入した花を活ける。随分と慣れてしまった一連の動作を終えたミソギは、突っ立ったままのトキを見ながら椅子を2つ用意した。備え付けのパイプ椅子だ。
「突っ立ってないで、座れば?」
「……分かった」
ミソギ、十束、トキ――そして雨宮。3年前に同じ研修を受けた、所謂同期である。勿論、研修時には倍の数の白札もいたが、組織階級という性質上、同階級である赤札の面々としか今では交流が無い。
3年前、研修が終わって2ヶ月、3ヶ月経ったくらいの仕事。
その時に事故が起きた。事前に打ち合わせをし、対峙した怪異がその打ち合わせでの予想を超え、遥かに強力だったという事故が。誰が悪い訳では無く、全てが予想外だった。現場ではよくある事故、それに巻き込まれた雨宮はかれこれ3年ほど意識が戻らない。
身体に異常はないらしく、霊障の類であると断定されたが為にセンターに入院している。ここで働く青札によると「目を醒ます可能性はある」との事だ。
なお、この一件以来、トキは十束に対して当たりが強くなった。
「――おい」
トキの呻るような低い声で我に返る。
「え、なに?」
「何故、いきなりここへ来ようと思ったのかを説明しろ。センターが情報収集に役立つとは思えない」
――なんで怒ってんだろ……。
意味不明な不機嫌さに恐々としながらも、ミソギは肩を竦めた。
「蛍火さんに対策について聞こうと思って。ほら、あの人、青札じゃん? 神主のご子息なら的確なアドバイスをくれるかもしれないし」
「……なるほどな。存外まともな考えだ」
「いやいやいや。何をしにここに来たと思ってるのさ」
「これで最期になるかもしれないから、雨宮の見舞いに行こうなどと腑抜けた考えでも持っていたのかと思った」
「不謹慎過ぎィ!」
丁度話に一区切りついたところで、コンコンとノックの音が響いた。返事する前に勝手にドアが開けられる。
「やぁ、ミソギちゃん。……おや? 今日は珍しい子が来ているね」
「こんにちは、蛍火さん」
にこやかな笑み。長い髪を一つにまとめた細身の男性が姿を現した。残暑で暑い中、何故かニットの服を着用し、更にその上から白衣を着ている。
彼は蛍火。神社の三男坊らしく、神主になる訳でも無いとの事で機関の除霊師としてセンターに勤めている。ミステリアスな雰囲気と柔らかな物腰が、女性除霊師に大人気だ。
病室に入ってくるなり、蛍火は勝手にペラペラと話し始めた。
「受付の子から、ミソギちゃんと彼氏が来てるって聞いて飛んで来たんだけど、なんだ、トキくんか。男女が一緒に歩いているだけですぐに恋愛に発展させちゃう恋愛脳は勘弁して欲しいよねえ?」
「はぁ……。それより、今日は聞きたい事があって来たんですけど」
「うん? 僕に? 良いけれど、僕はここからあまり出ないからねえ。役には立たないかもしれないけれど、それでも良いのなら聞こうか」
『天国への階段』及び『供花の館』の謎について蛍火に説明したところ、彼は慌てるでもなく優美な笑みを浮かべた。
「ああ、その件に関しては僕もアプリを見ていたから知っているよ。大詰めまで追い詰める事は出来たんだね。相楽さんも着いているし、最終局面までは進めるだろうと勝手に思っていたよ」
「同期でしたね、相楽さんとは」
「ああうん。彼、なかなか根性あると思わない? えーと、ミコちゃんは何て言っていたって?」
あの巫女なら、と険しい顔でトキが答えを返す。
「供え物がどうとか言っていたぞ。冗談とも本気とも着かない、曖昧な言葉だったがな!」
「そう……。あの子の力はアテになるんだけどね。けれど、君達が要らない事をうだうだと考えるより、彼女の言う通り供え物とやらをしっかり持って臨んだ方が良いね。彼女は奔放に振る舞う子ではあるけれど、何も考えずに発言するような子じゃあないよ」
「ハァ?」
「君等、本当に相性が悪いよねえ。しかしまあ、僕が言える事はミコちゃんの言を信用した方が良いって事くらいかなあ」
それに、とやはり落ち着いた調子で蛍火が腕を組む。
「その階段の怪談とやらは、恐らく待ち受け型の怪異だ。その手の怪異には大抵の場合、外へ出る為の条件がある。そうでなければ怪異として成立しないからね。もし本当に階段から抜け出せなくなったのなら、慌てず騒がず周囲をよく観察する事だよ。最悪、僕に連絡を取ってもいい」
「分かりました……。とにかく、ミコちゃんの指示に従って動きます」