4話 天国への階段

05.閑話


 薄く笑みを浮かべた蛍火が白衣のポケットからスマートフォンを取り出す。そんな彼の目はちっとも笑っていなかった。途端に、柔和そうな雰囲気が消失する。

「階段よりも気になっているのは……。怪異は自然発生、即ち自然災害のようなものだけれど、今回のこれは人間の臭いがするよねえ。今週に起こった一連の流れは、まるで誰かが書いた物語みたいに流麗だ。粗がない」
「と、言うと?」
「うーん、言葉にするのは難しいね。何て言えばいいのかな。やらせ番組を観てる気分? 俗っぽい例えは嫌いだけど、それが一番分かり易いかな。インチキだよねぇ、こんなの。僕はさ、人間臭いのが嫌いなんだよ。自然は自然のままだから美しいっていうのに、勝手に手なんか加えちゃって。まあ、僕の勘違いかもしれないけれど」

 一連の怪異事件が人の手で起きた、人工的な事件であったのならば。それはまさしく脅威ではないだろうか。
 ただし、無関係な一般人や関連性の無さそうな機関の同僚達が被害を受けている以上、完璧に操るまでには至っていないのかもしれない。そもそも、何が目的で怪異に手を着けるなどという突飛な考えに至ったのか。
 しかし――理由が理由で、且つ本当に人為的に怪異を発生させる事に成功した者がいるのであれば。最早それは、テロの一種ではないだろうか。無差別に人を襲う、怪異という便利な死生物兵器。

 結局、一つの目的の為だけに存在する意思もほとんどないような怪異より、生きた人間の方が恐ろしいと、そういう事なのだろう。

 それはそれとして、と恐ろしく無表情だった蛍火が破顔する。

「ミソギちゃんの為に各種、お菓子を取り揃えておいたんだけれど、受付の子が変な事を言うから置いて来てしまったよ。取りに行って来てくれないかい? 僕の差し入れって事で。一杯あるから、みんなで分けるんだよ」
「ええ? わ、分かりました。ありがとございます、取って来ます」
「はいはい、ここで待ってるよ」

 確かに週一くらいでセンターには来る。全ては雨宮の見舞いの為に。だが、だからと言って自宅のように物を物色するような関係性ではないのだが。
 釈然としないながらも、折角食べ物をくれると言うのでミソギは大人しく病室から出て行った。

 ***

 慌ただしくミソギが出て行った後の病室に、不自然な沈黙が広がる。
 ちら、とベッドに仰向けに転がっている雨宮を視界に入れるが、当然彼女は身動ぎ一つしなかった。それが酷く恐ろしい光景に見えて、慌てて目を逸らす。病院は苦手だ。センターに限らず。

「それで? 僕に訊きたい事があったんじゃないのかい? 熱烈な視線を受け取ってしまったからね、ミソギちゃんには退室して貰ったよ」

 穴が空く程凝視していたのがバレていたらしい。苦笑する蛍火は後輩の無礼な態度に関してもどこか余裕且つ寛容な態度を取って見せた。
 舌打ちを一つ漏らしたトキは、何事かを口に仕掛けて、そしてやはりその口を噤んだ。クツクツ、蛍火が笑う。

「君がここに来るのは珍しいね。前回、ミソギちゃんに引き摺られて来たのは――一ヶ月前かな? 君さ、人が動かないで寝たきりになっている所とか、病気で弱っているところとか、見られないタイプでしょ?」
「……うるさい」
「そうやって嘘を吐けない人間は大好きだよ。それに分からなくも無いなあ。実際、怪異なんかより、そっちの方がずっと恐いよね。十束くんが言っていたよ。君は怪異を怖がらないってさ。より恐ろしいものが何であるのか、よく理解している」
「――十束は、よくここに来るのか?」
「うん? ああ、彼はよく来るよ。ミソギちゃん程では無いけれどね。申し合わせたみたいに別々の日に来るんだよ、彼等って」
「そうか」

 十束はかなりマメだ。要らない事にも気を割き、そして自身が疲れている事にも気付かないお人好しの典型例。遠目から見ている分にはただの好青年なのだろうが、同期として隣から観察していると苛立つ事この上無い相手である。
 あれ、と蛍火が態とらしく首を傾げた。

「怒ると思ったのに。いつものようにギャンギャン吠えないんだね?」
「何に対して憤る事がある。アレが雨宮の見舞いに来るのは当然だ。そういう性質なんだから。それにいちいち目くじらを立ててどうすると言うんだ」
「何だか、君とはこうやって話す度に見方が変わるなあ。あれだよ、あれ。シンプルな味の料理だと思って食べてたら、思わぬ隠し味が眠ってそうな感じ」
「そんな事はどうでもいい!」
「あ、本題に入る?」

 茶化すような物言いは無視して、雨宮を指さす。こんな事、ミソギが――あるいは十束がいる場所では絶対に訊けない。訊けないが、でもここへは1人で来る事が出来ない。今しか機会は無い。

「おい……あれは目を醒ますのか? もう3年経つぞ」

 ふ、とほんの一瞬だけ。先程、今週起きた怪異事件についての感想を吐露した時のように、蛍火の表情が消えた。しかし、瞬きの刹那にはいつもの掴み所の無い笑みを浮かべ直す。

「あー、うん。そっちか。それ、先に十束くんが訊いて来ると思ってたよ。不意討ちだったねえ」
「訊いている事に答えろッ!」
「目は醒ますよ。身体に異常は無いからね。けれど、霊障の根源である怪異をどうにかしないと、いきなり降って湧いたように意識を取り戻すなんて奇跡は起こらないだろう。どの怪異だか分かっているよね? 3年前、君達が仕事で向かったそのぎ公園の怪異だよ。手も足も出なくて今も保留になってる、あの怪異」
「……そうか。そうだろうな、道理だ。その話、ミソギには――」
「してないよ、してない! そんな事言ったら、患者がもう一人増える事になりかねないからねえ」
「ならいい。一人で怪異に挑むなどと馬鹿な真似はしないだろうが、そんな話を聞かせて、落ち込まれるのも面倒だ」

 ミソギはミソギで少し向こう見ずな所があるが、基本的に自身の命が優先だ。いっそ清々しい程の危機察知能力は一周回って安心する程なので、自殺しに行くような真似はしないはず。

「その思い込みは危険だなあ。人間は多面的だからねえ。誰しも君みたいに裏表無く感情のままに生きている訳じゃないと思うけど。あと、僕からも訊いていいかな? 君は雨宮ちゃんの件を解決しようとは思わないの?」
「――有効打が見つからない以上、挑んでも犠牲者が増えるだけだ。逆にお前は私にこの話を聞かせてどういう反応を見せれば満足する? 言っておくが、一人で特攻なんて馬鹿な事はしない。怪異と対峙する環境において奇跡など存在しない、堅実に相手をすべきだ。それに、ミソギのあの特攻型の特定条件を見てみろ。面倒を見る人間がいなくなれば、すぐ死ぬぞ。私は私の価値を客観的に理解している。迂闊に例の怪異に挑み、寝たきりがもう一人増えれば後先考えず乗り込もうとする馬鹿が2人程増えるかもしれない」
「人って分からないなあ。いつも苛々していて情緒不安定そうな君が、実の所は一番安定しているなんて笑えないよね」

 そう言った蛍火は唐突に口を閉ざした。ドアの外から軽快な足音が聞こえてくる。と、ノックも無しにドアが開かれた。

「はいはい、ただいま! 蛍火さん、これ、ありがとうございます! 明日みんなで食べます」
「ああ、喜んで貰えたようで良かったよ」

 袋に大量の菓子袋を詰めたミソギが帰って来た。あまりの脳天気さに毒気の抜かれた溜息が漏れるが、これは仕方のない事だと思う。