3話 質問おばさん

03.進まない話


 ゆっくりと這い寄ってくる怪異に対し、十束は懐から霊符を取り出す。幸い、動きは全く速くない。今のうちに片を付けてしまおう。

「コミヤ、応戦するぞ!」
「ひっ……!? あ、ああ……!」

 コミヤが立て掛けてあった工具箱を手に取る。もっとちゃんと怪異に対応出来る物は無かったのか。

 まずは霊符1枚目を這っている怪異の背にぺたりと貼り付ける。
 ――が、それは効力を発揮すること無くすぐに剥げてしまった。無効化された、と言うより最初から霊符が反応していないような体だ。

「何だ……?」

 怪異はこちらに目もくれず、コミヤを目指している。
 見た目は地面をズルズルと這っている女の霊、といった所か。やせ細った手足は匍匐前進など出来るような力があるようには見えない。

 焦ったコミヤが、奇声を上げて這い寄ってきた怪異の頭部に向かって工具を振り下ろした。何かが致命的に破壊されるような音が響く。

「こ、コイツどうなってんだよぉ……! この、消えろッ!!」
「ちょ、落ち着くんだコミヤ!」

 工具が振り下ろされる。一度、二度、三度。
 相手は怪異だが、それにしたって慈悲も人道も無い行為だ。慌てて止めに入ろうと頭を巡らせるが、近付けば自分も怪我をしてしまいそうなくらいに、コミヤは我を失っている。

 ――と、不意に怪異の細い腕が工具を振り下ろしたコミヤの腕を捕まえた。

「ひぃっ!? 何だコイツ、力、つよ……!?」

 コミヤは大の大人だ。細い女の腕などすぐに振り解くかに思えたが、予想に反して逃げようとして失敗しているらしく、小さく悲鳴を上げている。

「コミヤ! 今助ける!」

 先程全く効力の無かった霊符に台所にあった塩を振り掛けてみる。単体では効果がなかったが、組み合わせればどうにかなる――かもしれないと考えたのだ。
 しかし、結果は同じだった。効果がある、無い以前の問題。反応しない。

 仕方なく、コミヤの腕を掴んで放そうとしない怪異に背後から襲い掛かり、無理矢理引き剥がそうと力を込める。

「う、動かない!」
「は、早くどうにかしてくれっ!! 痛い痛い痛いッ!!」

 重い。重いというか、まるで接着されているかの如く、微動だにしない。
 どころか、鬱陶しいと言わんばかりに、怪異が空いた腕を振り回した。襟首を掴まれ、文字通り片手でブン投げられる。気持ちの悪い浮遊感と同時に、背中を床に打ち付けた。直後、後頭部を強く壁に打ち付ける。

 変な所を打ったのか、意識が朦朧とする中、こちらを見てニタリと唇を吊り上げる怪異の姿と、コミヤの悲痛な絶叫。そして、硬い物が無理矢理折り畳まれるような音を確かに聞いた。

 その後、コミヤは行方不明。今現在も見つかっていない。

 ***

「――と、言うわけなんだ」

 十束の言葉など、ミソギの耳には入って来なかった。
 どうしよう、この怪談は恐らく苦手分野だ。話を聞いているだけで震えが止まらないし、この圧倒的な理不尽感が恐怖に拍車を掛ける。まだ『豚男』の方がマシだ。あれは気持ち悪いだけで、直感的な恐怖とは別の恐怖だったのだから。

「と言うわけも何も、どうしてお前は『質問おばさん』に取り憑かれたんだ? 最後に目が合ったからか?」

 鵜久森の問いに、そうだろうな、と十束は自嘲気味な返事を寄越した。その顔色は限り無く曇っている。
 ここで、棘のある言葉を発したのはトキだった。

「助けられもしないのに、助けるなどと嘘を吐くな。胸糞悪い。貴様の不用意な一言は、コミヤとかいう白札に要らん希望を与える事になったぞ。残酷な事だな」
「それについては……返す言葉も無いな。お前の言う通りだよ、トキ」

 ――いや、言う通りじゃないよ……。
 これは不可抗力だ。十束は機関のルールに則った、成功はしなかったが正しい行いはしたはずだ。
 思いはしたものの、ここで下手に十束を擁護すると話が進まないと思い、口を閉ざす。しかし、鵜久森は正義感溢れる良い先輩だった。トキに対し、目を眇めて叱るような姿勢を見せる。

「お前、ちょっと言い過ぎだぞ、トキ。十束がした事と私が『不幸女』の時にやらかした事、どちらも同じようなものだ。相手が同期だからと言って、弱い部分を突くやり方は良く無いぞ」
「やかましい、貴様の事など知るか。というか、どうでもいい」
「いやいや、その理屈は可笑しいだろう!? お前、本当に私の話を聞かないな!」

 ザ・殺伐。
 仕方なくミソギは不毛な口論に水を差した。

「取り敢えずさ、話を進めようって。話が一段落する度にネチネチ小言を言い合ってたんじゃ、日が暮れても家に帰れないよ。あ、いや、日が暮れてからが本当の仕事なんだけどさ」
「……それもそうだな。ほら、とっとと話を続けろ。十束」
「うん? いやでも、お前が俺に話し掛けて来たから会話が止まっていたんじゃ――」

 余計な事を言うな、とうとうミソギはそう叫んでソファから立ち上がった。当然、周囲からは奇異な目で見られたが、色々と限界だったのだ。

「あああああもう! ただでさえ今日は叫び疲れてるし、体感3年くらい寿命が縮む思いしたのに! お願いだから仕事の話くらい円滑に進めてよ! 昼夜逆転生活のし過ぎで一昨日なんて実家から電話掛かって来たわ!! その後に自分の人生観と生まれて来た意味、幸福とは何なのかについて小一時間くらい考えたけど、あの時はまだまだ暇だったんだなぁっ! うわあああん!!」

 うわ、とあのトキからもドン引きされた。けど、もう自分一人がヤバイと思われる事で話が進むのなら何でも良かった。とにかく家に帰りたい、長らく会っていない恋人、お布団と一緒に眠りたい。

 名状しがたいものを見るような目をしていたトキが緩くこちらを指さしながら、呟く。

「どうするんだこれ。貴様等が要らん話ばかりするから、ミソギが可笑しくなったぞ」
「いやだから。俺はちゃんと話をしていたぞ? お前が口を挟んで来るからそれに応じていただけで――」

 以下、似たようなやり取りが10分ほどループした。