02.十束の情報
顔をしかめたトキが遠慮容赦無く十束を言及する。
「おい、何故そんな馬鹿な事になった。詳細に説明しろ」
「言い訳をするようだが、不可抗力なんだ。悲しい事にな。4日前の話をしよう。実際に怪談を聞くより、体験談を聞いた方がイメージしやすい怪異なんだ」
少しだけ目を伏せた十束は、その日の事を思い出すように薄く目を閉じ、腕を組んだ。
***
4日前、十束は救援依頼に従い、救援ルームを作った白札・コミヤの家に足を向けていた。とはいっても、除霊師は一般住宅地に住めないので、社宅のような指定されたアパートに住んでいるのだが。
そんな彼の家に辿り着いたのは午後11時30分。後少しで日付も変わろうかという時間だった。
インターホンを押し、家の主が出て来るのを待つ。
程なくして現れたコミヤは疲れ切った顔をした、自分より一回り程歳が上の男性だった。
「おはよう! 救援ルームを見て連絡をした赤札の十束だ! えーと、何だったかな、『質問おばさん』? の怪異らしいな!」
「ああ、おはよう……。そうなんだ、実はもう2日寝てなくて……」
「顔色が悪いな。俺に任せて、休んでいてもいいぞ」
それは単純に親切心と、コミヤその人の痛々しさから出た言葉だった。しかし、コミヤは青い顔を横に振る。眠るなんてとんでもない、と言いたげな面持ちだ。
「眠る余裕なんて無いよ。うるさくてうるさくてうるさくて、眠るどころじゃないんだ……」
「そ、そうか。そのだな、悪いが、『質問おばさん』について教えてくれないか? 何故か今週に入ってから赤札が忙しく動いていて、手が回っていないんだ。驚くかもしれないが、ここへは全く何も知らずに来た」
「ああ、そういえばルームの連中が似たような事を言ってたな……。まあ、取り敢えず中に入ってくれよ。茶くらいは出すし、あー、カップラーメンくらいなら夜食もある」
「お邪魔する。夜食は要らないが、茶だけ貰っていいか?」
靴を脱ぎ、部屋の中へ。
コミヤの部屋は散らかり過ぎず、しかし物が全くない訳では無い。酷くありふれた、そして生活感のある部屋だった。
空いた所に適当に腰掛け、コミヤがグラスを2つ持って来て小さな丸テーブルに置いたところで、それとなく会話が再開される。
「まずな、何で家に来いって言ったか疑問に思ってるだろ?」
「ああ、正直に言ってしまえばそうだな」
「あの怪異さ、俺がいる所に来るんだよ……。家に憑いて来てるんじゃなくて、俺自身に狙いを定めて憑いて来てるんだ」
「現地は貴方自身という事か。分かった、話を続けてくれ」
コミヤは玄関の冷たい鉄製のドアを見た。釣られてそちらに目をやる。鍵が掛けられ、チェーンも掛けられたそのドアは何があっても開く事が無さそうな不思議な安心感を纏っている。
「0時を過ぎると、奴が来るんだよ。『質問おばさん』が。ずーっとずーっとドアを叩くんだ。コンコン、なんてもんじゃないぞ。バァンバァンって」
「近所迷惑そうだな」
「霊障の類らしくて、部屋の中にいる人間と憑かれてる俺にしか聞こえてないみたいだ。耳元で太鼓を滅茶苦茶に叩かれてる感じって言えばいいかな。とにかく、寝てられないんだよ」
「その『質問おばさん』はドアを叩いたら帰って行くのか?」
「まさか。俺の意識がハッキリしてからか本番さ。アイツ、延々とずーっと意味不明な事聞いてくるんだよ。けど、上がってる情報によると何にせよ応じちゃいけないらしくて、俺はその間ずっとうっかり返事をしてしまわないように部屋の中心で震えてるんだ」
「応えてはいけない? 何事か応じてしまったらどうなるんだ?」
「分からない。だが、白札がすでに2人、連絡が取れなくなってる。何事かが起きてるのは確かだと思う。無視してやり過ごせば、奴はいつの間にかいなくなってるんだけどな。どうも、陽が昇る前にはどこかに行くみたいだ」
どうにもイメージが湧かない。アプリで詳細な情報を確認した方が良いだろうか。
ポケットから取り出したスマホの画面を点ける。丁度その時、時刻が0時になった。
――コンコン、というインターホンを全く無視したノックの音が玄関から聞こえてくる。ちら、とコミヤの方を見れば、彼は蒼白な顔でしーっと指を立てて静かにするようゼスチャーしていた。
その間にも、先程までは静かなノックの音だったのが段々と激しさを増していき、何か物を破壊するような音になっていく。
それでも、ドアはびくともしない。やはり、奏でられている騒音はコミヤの予想通り霊障の類だ。激しい音はしているし、振動のようなものが伝わっている気もするが、全ては錯覚。
ぴたり、と先程までの騒音が嘘だったかのように音が止んだ。ほっとするのも束の間、しゃがれた声がドアの向こうから響いて来る。
「右……手と、左手は……どちらが赤い? ……右手? それとも、左手?」
生理的な恐怖が襲い掛かって来る。酷く得体の知れないものが、外に、直ぐ傍に立っているような感覚。同時に、何か応えてしまえば、取り返しの付かない事になってしまうような漠然とした不安を覚える。
意味の分からない――そもそも意味があるのかも分からない質問を賢明に噛み砕いていると、再びドアの向こうから声がした。
「心臓と……目玉……どちらが要らない? どちらなら人にあげてもいい?」
完全に硬直していると、高らかにコミヤのスマホが着信を告げた。弾かれたように、コミヤがスマホを弄くる。十束もまた、その画面を覗き込んでみたが表示されているのは『非通知』のみだった。
取るべきか、無視するべきか。電話は鳴り続けている。
――出ない方が良いだろうな。
出ない方が良い、そう伝える為、胸の前で腕をクロスさせ、バツ印を作る。
「電話……取らないで……」
「えっ」
電話を取ること無く切ろうとしていたコミヤが小さく声を上げる。刹那、一際大きな物音が響いたかと思えば、玄関のドアがゆっくりと開いた。掛けていたチェーンは何故か外れ、鍵は壊れている。
ずるり、ずるり。
湿った音を立てながら、地面を這いつくばったそれがゆっくりと玄関を越え、近付いて来る。
「こたえてぇ、くれたぁぁ……」
そうか、電話を操作するという行為ではなく、直後に発した疑問のような音のような反応の事を示しているのか。