1話 豚男

08.怪異『豚男』


 ともあれ、南雲が執拗につけ回されている理由は判明した。チャラ男だからだ。
 逆に、白札の目撃証言で「追って来なかった」、という人物は普通の女性だったか、チャラ男でも綺麗な男性でもない男性だった。それだけの話では無いだろうか。つまり――

「南雲。お前が怪異から逃げ切る為には、怪異を消滅させる他無いぞ。どう言い訳しようと、お前はチャラチャラした男に当て嵌まる」
「うええ!? マジすか? 俺、よく近所のおばさんとかに好青年って言われるんですよ!?」
「世辞という言葉を知っているか?」

 全くトキの言うとおりだ。しかし、事の全容を知ると少しだけ恐怖が薄らいだ。この手の怪談にはあまり恐怖を覚えない。『豚男』とやらの怒りは一応、真っ当な常識を外れていないような気もするし。カニバリズムについては心底ゾッとするが。

 ともあれ、一番狙われている南雲その人がキーパーソン。彼を上手く使って、豚男を削り、最終的には霊符を貼り着けて昇天してもらう他無い。

 ルームの協力者達に礼を言おうとスマホを手に取る。会話をしている間にも吹き出しは流れ続け、ミソギが最後にした発言はもう見えなくなっていた。

『白札:そういやさ、『豚男』もそうだけど『不幸女』と『質問おばさん』の怪談も全く同時期に上がったな』
『白札:あー、私も不幸女の方はルームまで見に行ったよ。ほとんど同時に3つ上がったよね。不幸女の方はゾッとしたわ。あれだって、即死でしょ』
『白札:死亡者リストに名前増え過ぎてて二度見したわ』
『白札:何の話か知らないけどさ、ここは『豚男』のルームだから。そっちの話はそっちでやって』

 ――『不幸女』と『質問おばさん』……?
 白札の誰かが言う通り、全く同じ時期に広まった死亡者の出るような怪異であるのならば、『豚男』と関連性があるかもしれない。幾ら無限に増える怪異とはいえ、ほとんど同時期に打ち上がるのはかなり稀だ。関連が無い限りは。

 根は同じ怪異、とかで『豚男』と対峙している時に現れられても困る。一応専用のルームを見てみよう。そう思ってスマホを更に操作しようとした手は、横から伸びて来たトキの手によって牽制された。

「え、なに?」
「……おい、今日は休日ではないな?」
「え?」

 緊張したような声音。弾かれたように顔を上げれば支部内は不気味な程に静まり返っていた。受付にいた事務員も、廊下を行き来していた同業者もいない。あるのは痛い程の静寂と、何も無い空間だけだ。

 冷たい汗が背筋を伝う。じっとりとした空気はまるで何かの体内にでもいるかのようだ。よく似ている全然違う場所に来てしまったような、水中で全力疾走を試みるような、そんな歪な感覚が全く抜けない。ずっとずっとずっと、誰かに見つめられているような緊張感に喉が渇いていくのを感じる。

「えっ? えっ、え、えええ!? ななな、何すか何すか!? 俺、こういう系は駄目なんですって、マジで!」
「うるさい! 少し黙っていろ!」
「黙ってたら余計に怖いじゃないっすか!」

 ――異界に取り込まれたのだと思う。
 圧倒的で排他的な空間。南雲の近くにいたからか、それともトキが『綺麗な顔の男』に該当するからか。確実に自分は巻き込み事故である気がしてならないが、それでも現実は現実。受け止める他無いのだろう。

「ひっ!? ミソギ先輩、あれ……!」

 先程まで怯えていた南雲はそれを認めると、支部の自動ドアを指さした。どうやら自動ドアは止まってしまっているらしく、外にいるそれを感知しない。

「ぶ、豚男……!」

 頭部は豚。それはマスクを被っている訳でも無く、生きている豚だった。舌なめずりをし、吐き出した息がガラスを曇らせているので間違い無い。
 胴体は最早ボールのようだった。ボールに手足が生えているような、奇形じみたそれは、最早目の前におわします『何か』が圧倒的に人間でない事を物語っている。何故だろう、壁を一枚隔てているはずなのに、酷く、獣臭い。

「ふん、あれが例の『豚男』か。自己主張の激しい奴め」
「メンタルはオリハルコンか何かで出来てるんすか、先輩。じゃなくて、どうします!? どうすればいいんだ、これ! ちな、霊符はほとんど効かなかったっす」

 それを聞くや否や、トキは例の背負っていた細長い袋から模擬刀を取り出した。
 何でも、霊力と相性の良い『形』があるらしい。巫女であるミコが言っていた事なので、間違いはないのだろう。刀と、あと思い付くのは弓矢なんかだろうか。霊符もまた、その性質を利用しているようだし、該当するかもしれない。

「南雲が頼みの綱だよ……。だって、私もトキも、チャラくはないし」
「その俺が駄目だったから先輩達に頼ってるんですって! あー、どうすりゃいいんだこれ! ヤバイ、バリケードとか作ります!?」
「要らん。邪魔だ」

 駄目だ、トキは特攻する気満々である。
 緊張と恐怖を紛らわせる為、常に3本は携帯しているペットボトルの水を飲み込む。あまり怖い思いはしたくないが、シャウトした時に声がスッと出るように準備しておかなければ。

 案の定、あんな弱そうな自動ドアのガラス一枚で時間を保たせるのは不可能だった。
 豚男は南雲が話した通り、トンカチを持っている。何かを思いきり打ち付けでもしたのだろうか。握りの部分が少し歪んでいるし、カナヅチの金部分は赤黒く変色している。

 ――瞬間、何の予備動作も無く、豚男がカナヅチを自動ドアに叩き付けた。粉々になったガラスが、支部の内側の床に散らばる。二度、三度とカナヅチを打ち付けられれば、肥えた豚男でも通り抜けられるように、嵌っていたガラスがやはり建物の内側に落下した。