02.ミソギさんとのど飴
早足で道を辿って来たのは3人組の男女だった。ちら、とプレートを見る。赤札が2人、青札が1人。随分と豪勢なパーティを引き連れて現れたものだ。しかし、自身の生存率が跳ね上がったのを見て、知らず知らずハカタは深い溜息を吐き出した。
「状況は」
恐らく彼が先程からルームにメッセージを打ち込んでいた赤札除霊師なのだろう。酷く似通った口調でそう訊ねた。
色素の薄い髪に切れ長の双眸。何か怒っているのだろうか、顔つきは険しいを通り越して眉間に深い皺が寄っている。まるで渓谷のようだ。機関員である事を示しているもう1枚のプレートには「ツバキ組」の組合名と「トキ」というハンドルネームが彫り込まれている。
「く、黒い靄みたいな女が、ずっと追い掛けて来るんです! 仲間2人ともはぐれてしまって……」
「黒い靄? それは貴様の霊感値が低いからそう見えるのか、それともそういう怪異なのか。どちらだ」
「お、俺の霊感が足りないからかと……」
露骨に舌打ちされた。態度が悪いが、助けて貰っている手前、文句を言う事も出来ない。一方で、青札の少女が騒ぎ始めた。彼女のプレートには同組合名と「ミコ」というハンドルネームが掘られている。黒いセミロングに巫女服を着ている、小柄でまだ少女と呼べるような年齢だ。
青札は血統書付き。つまり、彼女も巫女を輩出するような家系なのだろう。
「あばばばばっ! き、聞きましたかミソギさんっ! 黒い女の怪異だそうですよ。きっとあれですよ、場所が場所ですし、この暗い森で首を吊った怨念の立ちこめる女性なんですよっ!」
「えぇ!? お、襲い掛かって来たらどうしよう、ミコちゃん!」
ミコの突拍子無い発言に動揺したのは赤札の女除霊師だった。ミソギと呼ばれたその人は黒い髪に黒い瞳をしており、ついでに言うと暗がりでも分かる程に青い顔をしている。怯えているのは明白だ。研修終わりたての赤札なのだろうか。
そんな怯えているミソギの様子が目に入らないのか、ミコは言葉を続ける。
「知ってますか、ミソギさん。首を吊って死ぬと……首が伸びるんですよ。エグい感じに!」
「ええっ!? わーっ、ちょっと止めてよ、怖くなってきたじゃん!」
――大丈夫か、こいつ等……。
いったんは消えた不安がまた頭をもたげてくる。ベテラン、1年以上の除霊師実績がありそうな風格を漂わせているのはトキというハンドルネームの男だけだ。
「あ、あの? これ、本当に大丈夫――」
遮るようにトキが持っていたスマートフォンが着信を告げた。こちらの話を完璧に無視し、電話に出る。余計に機嫌が悪くなったであろう彼は、不機嫌そうに電話の向こう側にいる人物と言葉を交わす。
「何ですか。はい? 今日の面子? ……煩い連中と来てますけど。え? いや、別に私は煩くないでしょう。難癖着けるの、止めて貰っていいですか。仕事中ですよ」
――誰もアテにならない、フリーダム過ぎる。
それぞれが勝手な行動を取り、全くもって集団戦といった体ではない。一抹の不安は大きく膨れ上がっていく。
「――あっ!?」
ミソギとミコに目を移して、そして気付いた。様子見でもしていたらしい黒い靄が、再び出現し、今度はミソギに狙いを定めている事に。
上手く言葉は出なかったが、ハカタの視線と、或いは霊感によって。ミソギその人も気付いたらしい。慌てて振り返る。
そして。
「ぎゃああああああああ!?」
劈くような、それはそれは見事な悲鳴。どこまで声を届かせる事が出来るのかを競っているかのように高いソプラノトーンで吐き出された絶叫は、鼓膜どころか空間さえ振動させる。しかも彼女の口から前置き無く飛び出した大音声は、本当に唐突だったが為に耳を塞ぐ事さえ忘れていた。
断言出来る。これは、フリでも何でも無く本当に心の底から怯え、驚き発された悲鳴だ。極限まで引き絞った弓から放たれる矢のような、恐怖を詰め込むだけ詰め込んで爆発させたかのような心からの叫び声。
しかし、驚くべき事に恐らく赤札のミソギの絶叫には霊力があった。
目前まで迫っていた黒い靄の女が為す術無く四散する。黒い粉のようなものを撒き散らし、大気中に溶け消えた。
一方で、年下の少女であるミコに縋り付いて喚き叫んでいるミソギその人は両目を硬く瞑っており、現状には気付いていない。
「うわああああ! 血塗れ! 血塗れだったよ、あの人! これは死んでる!」
「えー、それはお亡くなりになってますよぅ。だって幽霊なんでしょう? 生きてたら、それは生者じゃないですかっ!」
「た、確かに!」
「ミソギさんが大絶叫したせいで、お姉さんいなくなっちゃいましたよ。歩きにくいので、少し離れて下さいっ!」
「変な所でドライだよね、ミコちゃん。乾ききってるよ……」
そそくさとミコから離れたミソギは、周囲を用心深く見回している。
一方で、通話中だったトキはと言うと、一度スマホから顔を離し、叫んだ。
「うるさいぞッ! 電話をしているのが、見て分からないのかッ!?」
――煩い、この人も十分煩い。
体育会系的な暑苦しさを伴った煩さだ。が、やはり通話中。一言だけ文句を言ったトキは再びスマホを耳に当てる。
「失礼しました。ああ、今解決しましたので、支部に戻ります。はい」
通話は終わったようだが、今更になってハカタは白札の同僚からの忠告を思い出していた。曰く、「のど飴ぐらい用意していた方が良い」。
思い至った。彼女――ミソギは、よくアプリ内でネタにされている、絶叫すると噂の赤札だ。彼女がよく出現する区画に近いという事もあって、先月にのど飴を購入しておいた。救援に駆け付けて来てくれた時に、お礼の意を込めて渡そうと思ってだ。
「えーと、ミソギさん?」
「えっ? はい」
「あのこれ、のど飴です。喉、壊さないように頑張って下さいね。何かこう、喉が引き千切れそうなくらいの声量だったし……」
「あ、どうも……」
受け取った彼女の鞄の中。恐らくは他の連中にも貰ったであろう、のど飴の大袋で溢れていた。