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呆れと動揺を綯い交ぜにした空気が塔の中に満ちる。ただ一人、唐突に現れたその少女だけが何が起きているのか理解していないようだった。そんな少女の視線は、甘音に注がれている。
――彼女以外には興味が無いとでも言うように。
妙な沈黙を打破する為、黎命は口を開く。このまま時間だけが過ぎて行くなんてとんでもない。
「――主は何者だ?」
紫水は答えなかった。ただ、黙って甘音を見ている。見つめられた甘音の方はあたふたと慌てていたが、黎命の問いに代わりに答えてあげるような優しい女性ではなかった。
一瞬迷ったような顔をした明月がそっと紫水に歩み寄る。少女は逃げ出したり悲鳴を上げたり、本来起こさなければならないような防衛的姿勢を取らなかった。というか、明月にまるで興味が無いようで、見向きもしない。
「その、君、何者なんだい?」
「・・・私に聞いているの?」
「えっ。いや、さっきからずっとそうなんだけど、うん」
明月が紫水の顔を覗き込む、という動作で彼女はようやく場にいる人間が自分に話し掛けているのだと認識した。興味が無いわけではなく、どことなく対人経験が無さそうな印象に変わる。
何者なのか、と再度問えば無表情のままに少女は首を傾げる。
――正直、話にならない。
「父上、父上」
「こら、近寄って来るな、風花。・・・何だ?」
「ちょっとあたし、あの子と上手く会話出来る気がするから、行って来る!」
「風花?風花よ・・・一体その自信はどこから湧き出て来るのだ・・・」
我が娘ながら、ちょっとアタマが弱い子に育ってしまったなという自覚はある。霧氷が性格の悪ささえ除けば完璧人間に近い才色兼備な子に育ってしまったので、娘を若干甘やかしたのが悪かったと今では深く反省しているが後の祭りである。
仕方なく、明月に目配せ。娘の阿呆な行動を止めろ、という意を込めて。
――が、明月は目の前の少女をどうすればいいのか挙動不審で考えていたのでその視線にはまるで気付かなかった。
「よーしっ、お姉さんが君の事について質問しよう!」
「うわ、風花殿・・・!?ちょ、黎命殿!・・・いや、何でもないです、はい」
「甘音?この人は私に話し掛けているの?」
「えぇ、そうですよ」
良い感じに会話が入り乱れて何が何だか分からなくなってきた。
明月が「あんたの娘だろこいつどうにかしろ」と言わんばかりの視線を寄越して来ているが、今ここで甘音を放り出して娘の無謀を止めるような余裕は無い。
彼女も彼女で大分切羽詰まって何をしでかすか分からないからだ。手負いの獣と追い詰められた人間が恐ろしいのは、今まで生きて来た経験の中で体験している。
「えぇっと、君の名前は?紫水ちゃんでいいの?」
「えぇ」
「東雲の軍とはどんな関係が?」
「何、それ」
「えっ」
「え?」
――会話終了。
見つめ合ったまま硬直する風花。結局分かった事は、少女の名がやはり紫水というだけである。
しかし、娘は諦めなかった。
「そうか!こうすればいいんだ!私、鳳風花!君の名前は!?」
「・・・・・」
「知りたいなぁー!風花、君の名前が知りたいなぁ!!」
「・・・あ。東雲、紫水。私の名前」
いまいち会話が片言である。