3.





「さぁ、話は済んだでしょう?お引き取りくださいな」

 出口はあちらですわ、と大袈裟な程に大仰な身振りで入って来た扉を指し示す女。その手には得物を持っていない。つまり、本当に戦う意志がないようだった。

「――黎命殿。どうしますか?相手は武人・・・ここで討ち取っておくのがいいかと、はい」
「そうよな・・・。美女であったが、仕方あるまい」

 一応訊こう、と黎命は女に向かって声を張り上げる。鬱陶しそうに眉根を寄せた女はそれに不機嫌そうに応じた。何か、と。

「こちらへ投降する気は、無い。そうだな?」
「ありませんわ。何を寝惚けた事を仰っているのか。わたくしにはこの塔を護る義務があるのよ」
「ふん、幽閉されている、の間違いであろう。東雲の娘とはいえ、冷遇したりはせん。よく考えてみる事だ」
「冷遇されようが幽閉されようが、父を見捨てる娘がどこにいるの?少し、無神経過ぎではありませんこと?」

 そうか、と小さな溜息を吐いた黎命は得物を握りしめる。ここでみすみす敵将を逃すつもりは毛頭無い。投降するのであれば応じるが、そうでなければ戦国のそれに従って討つのみである。

「――致し方ない」
「・・・っ!」

 このまま引くとでも思っていたのだろうか。僅かに女の顔が強張るのを黎命は見逃さなかった。やはり、外へ出たことの無い『幽姫』。戦を嘗めているとしか思えない。

「名を聞いておこう。主の名は、何と言う?」
「――甘音」

 それが合図。両刃の剣を片手に黎命は地を蹴った。階段という防壁などほとんど意味を成さず、すぐさま甘音との距離が限りなく零へ近づく。呆気ない程に彼女は防衛手段を持っていなかった――

「ッ・・・!?」

 手にした剣を振り下ろすだけ、それだけの動作で全てが終わるはずだったのだが、寸でのところで黎命は振り下ろしかけた腕を戻した。

「何やってるの、父上」
「むぅ・・・糸か・・・四方が壁に囲まれていれば、成る程。厄介なものよ」

 娘の呆れたような声を背後に聞きつつ、頬を乱暴に手の甲で拭う。じっとりと赤色が移った。
 再び距離を取った甘音は追撃の姿勢を取らなかった。故に、その糸が張り巡らせてあるのは彼女の周囲だけであると気付く。しかし、その防御糸をかいくぐる為には接近戦用の武器である剣は些か相性が悪かった。
 ――恐らく、甘音の要求はただ一つ。
 彼女の城であるこの塔から、何一つ持ち出すこと無く撤退する事。それを満たせば追って来る事は無いだろう。塔の外で会った時は棍を持っていたのだから、この糸は外では扱えない。

「黎命殿」

 そんな声が聞こえたと同時、黎命の真横を鈍色に輝く何かが通り過ぎて行った。同時に響く、か細い小さな悲鳴。

「うっ・・・!?」

 狼狽した様子の甘音の肩には短刀が深々と刺さっていた。よく見れば一カ所だけではない。左の太腿にもそれが突き刺さっていた。茫然としている間に、彼女が着ていた上品な着物に赤い染みが広がる。
 ふらり、と倒れかけた彼女はしかし、倒れなかった。踏み留まった。
 そんな光景を余所に、張り巡らされた糸を剣の一振りで斬り捨て、ようやっと甘音の元へたどり着いた黎命はそこで初めて振り返った。

「明月よ、そう急かすな。俺が負けるわけがないであろうに」
「言ってる場合ですか・・・。長期戦をするつもりなんて、僕達には無いでしょう、はい」

 投擲の姿勢で固まった軍師。彼は常にもっともいい頃合いで合いの手を入れてくれるので感謝しているのだが、これでは甘音に負けてしまったようで何とも微妙な心持ちである。
 そうも言っていられない、と無理矢理納得し、抵抗の手段を失った甘音に剣の切っ先を向ける。

「――勝ちは、勝ち、か。恨むな。これが戦国の従いというものよ」

 憔悴してはいるものの、強い殺意を孕んだ瞳で睨まれる。
 ――瞬間。
 背筋に悪寒が駆けて行くのを感じ、反射的に黎命は数歩後退った。

「・・・まだ、何者かいたのか」

 先程まで黎命が立っていた場所に突き刺さる、一本の矢。ただし、それがどこから飛んできたのかは生憎と分からなかった。