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目を見開き硬直する義兄の姿を見て、何だか笑いそうになってしまった。その光景を見るだけで、彼が日頃から彼女にどんな扱いを受けているのかが手に取るように分かる。同時に少しだけ悲しくなったが。
「た、高千穂・・・?何故、ここに・・・っ!?」
すっ、と高千穂のもとへ素早く歩み寄った伊織はぎょっとして固まった。着物の裾で目の端を拭う仕草に覚束ない足取り――演技が上手過ぎる。これでは本当に伊織が彼女を盾にしようとしているようだ。
いや、僥倖なのだが。何だか腑に落ちないこの現象になんと名前を付ければいいのだろう。
「えーっと、雲雀殿。その、これで、私の言う事を聞いてくれないかな?」
「雲雀殿・・・あ、あたし、その・・・ごめんなさい。いつもいつも偉そうな事ばかり言ってたのに、こんな事になっちゃって・・・弁解のしようもないよ」
あまりにも現実的な謝罪の仕方過ぎて本当に彼女を人質に、要求を通そうとしている気分になってくる。というか、ノリが良過ぎやしないかお姉様。
が、伊織が狼狽している以上に雲雀は動揺していた。
先程まで「祖国を裏切る事は出来ない」、と確かな意思を以てそう宣言していたというのに今では顔を真っ青にし、何だか申し訳ない気分にすらなってきた。何と声を掛けたものか迷っていれば、絞り出すような彼の声。
「い、伊織殿・・・俺は貴方を見縊っていました・・・。てっきり、これも何かのごっこ遊びなのかと・・・ですが、改めます。貴方は確かに、この東国に反旗を翻した反乱者だ」
――いかん。本気で怒ってる。これもう、後から何を弁解しても説教を免れないだろうな。
静かな雲雀の剣幕に内心で震えながらも気丈に装う。ここで内心の恐怖を勘付かれれば、高千穂の名演技も水の泡だ。私の肩には軍の命運が掛かっている。そう思えば不思議と勇気が湧いてくるような気さえしたが、たぶん気のせいである。
「雲雀殿。貴方の答えは私に従う事だけだと思う。それとも、お姉様が大事ではないの?」
「なんて姑息な手を・・・!」
「雲雀殿・・・」
「心配するな、高千穂。仕方が無い、伊織殿の要求を呑もう。こんなごっこ遊びだか何だか知らないものに、妻を巻き込むわけにはいかない」
まさかその最愛の妻が自ら巻き込まれに来た事など知らない雲雀は悔しそうに歯を食い縛った。先程から何故だか高千穂が震えているようだが、それは恐怖でも何でもなく、ただ笑いを堪えているだけだというのが隣にいた伊織にはすぐ分かった。
「雲雀殿・・・伊織様の要求を呑むんすか?」
「ああ。済まなかった、高千穂。俺がもっとお前の事に関心を払っていれば――」
「げんち」
「え?」
「言質、取ったっすよ、伊織様」
「・・・・え?」
疑問の声を上げたのが雲雀だったのか伊織だったのかは分からない。ただし、先程までの演技が全て嘘――事実、嘘だった高千穂の態度が急変した。
「雲雀殿は貴方に協力すると言ってくれました。ので、今からバシバシ使ってやってください、伊織様」
「あー・・・はい」
釈然としない気分だが、それで納得する他無いようだ。ちらり、と雲雀の方を伺う。茫然、というかまさに絶望しきったような顔色をしていた。伊織ではなく嫁の方に嵌められたのだと、ようやく気付いたらしい。