5.





 正直、神楽木一色を逃したのは失敗だった。
 さすがは百戦錬磨の軍に仕える武将である。不本意そうではあったが、引き際が潔すぎてまさかあの場面であっさり背を向けて逃げ出すとは思わなかった。
 熱しやすく、冷めやすい。それを体現したかのような人物だった事だけは確かだ。

「ううん・・・」
「姫さん。あんたが好きなようにしていいんだぜ?俺の事は気にしなくていい」

 あまり伊織を甘やかさないで欲しいが、阿世知六角もまた伊織に甘くて有名な将の一人だ。そして千石も。この場で厳しく彼女に当たる事が出来るのは南雲ただ一人だけだろう。
 ――伊織は勝負所に弱い。
 慎重過ぎるとも言えるし、気弱だとも言える。

「――伊織様」
「え?あぁ、どうしました、お姉様」

 傍観に徹していたはずの高千穂がここに来て初めて発言らしい発言をした。彼女は伊織にとっての義姉であり、同時に友人のような存在である。そんな高千穂の言葉は間違い無く伊織へと影響する事だろう。
 固唾を呑んでその光景を見守る。

「伊織様が好きなようにすればいいんじゃないっすかね。悟目殿は高名な軍師。あの方を師としている貴方が失敗なんてするわけないでしょう」

 意外にもそれは励ましの言葉だった。追随するように志水が会話へ参加する。

「そうですよぅ、伊織ちゃん。貴方は私の可愛い娘も同然。私の娘が城一つ落とせないわけがないわぁ」
「そりゃー・・・無理があるでしょう!?」

 堪らず口を挟めば千石に制された。彼は顔を青くしているが、母や姉と相対する時の千石の顔色は常に悪いので仕方が無いのかもしれない。

「う、志水殿・・・」
「あら、伊織ちゃん。母上、と呼んでくださって構わないのですよ?」
「あたしも無愛想な弟じゃなくて、こんなに純情で可愛い妹が欲しかったですよ」
「そうよー。伊織ちゃん、元気を出して?ね?」

 詰め寄ってくる神楽木女子にたじろいだ伊織だったが、その目に段々と活力が戻ってくるのを見た。やはりムサ苦しい男共ではなく、女の力が必要な時だってあるのだ。
 うふふ、と柔和に、しかしどこか怪しく微笑んだ志水が囁く。

「戦線に立たずとも、一度だって軍を指揮した事が無くとも。貴方は立派な軍師なのですよぅ?火を着けるなり、水を流し込むなり、お好きなようになさればいいのです。とりあえず石動様の執務室辺りを火の海にしましょう?夫の手を煩わせる君主様に、痛い目を見せてあげるのもいいと思います」

 ――この親にしてこの子あり。
 南雲は千石と志水を交互に見て、薄ら寒い背筋をそっと擦った。