1.





 講義終了後、何やら部屋から出て行こうとしない伊織と無言の時間を数秒過ごした。何かやり残した事でもあるのだろうか。

「先生。火って便利ですね」
「何ですか・・・藪から棒に・・・」
「いえ、今日の講義を聞いてて思ったのですが。・・・火って、便利ですね」
「放火魔のような事を言わないでください・・・」

 講義で使った駒を人差し指で弾いた伊織の目には形容し難い色があった。それが何を意味するのか、止まった時間の中で考えてみる。
 ――が、結果としてそれは失敗に終わった。
 生きている年代が違う上、性別も違う。軍略でもないそれを見破るのは悟目にとって少々難しい事だった。
 がたん、と何事も無かったように伊織が立ち上がる。

「それでは、先生。また――次は、明後日ですね」
「はい・・・そうですね」
「毎日でも受けたいですよ、本当」
「わたしにも仕事がありますからね・・・ですが、伊織さんがそう思うのならば・・・石動殿に進言してみてはどうでしょう?」
「結構ですッ!」

 足音荒く、伊織が出て行く。
 ふぅ、と悟目は息を吐いた。本来、彼女は軍師などではなく武将になりたかったのだ。指示を出す方ではなく、戦場を駆ける方に。
 少なくともこの講義を受け持つ前はそうだったはずだ。
 故に、皇帝の命とはいえ彼女に兵法を教え込むのは多少なりとも良心が痛むのも事実だ。確かに、武人になられるよりは軍師として本陣深くにいてくれた方が危険は少ないだろう。そう思っての親心のはずだ。
 ――彼女には軍師としての才が、お世辞にもあるとは言い難い。
 同じ事を何度も話さなければ覚えないし、何より彼女が持っている《才能》は軍師でなければ生かせないものでもない。

「仕事が増えるのは・・・わたしなんですがね・・・」

 ぼそりと呟いてみる。
 実際、自分の後継者を育てる為に伊織ともう一人、軍師が欲しいところだ。そもそも、伊織を戦線に立たせた事が無いのでどの程度、実用性があるのか分からないのも問題である。
 あの調子だと、「新しい軍師を育てたい」とは一生言い出せない気がする。
 ――嗚呼、心苦しい。
 心中でそう呟き、急須から茶を淹れる。長らく放置していたそれはかなり渋かった。そういえば、伊織は一口飲んでからその後一切この茶を飲まなかったな。