1
東国が誇る負け知らずの軍師、土御門悟目は一人、部屋に篭もって地図を広げていた。というのも、東国統一前は軍師として腕を鳴らしていた彼だったが平和になってしまうと政務を押し付けられるようになり、更には皇帝の娘に兵法を教え込まなければならないなど、むしろ仕事が増えたのだ。
そして今日は位置付け的には弟子となる彼女、鳳堂院伊織が講義を受けに来る日である。彼女の事は好ましい。本来いた娘より幾分か年若いが、差ほど離れているわけでもないのでどうしても今は嫁いでしまって滅多に帰って来ない娘と重なるのだ。
――それに伊織には愛嬌がある。何と言うか、強かというか、世渡りが上手だというか。いや、多分何も考えてはいないのだろうが。
戸を叩く音がした。しかし、伊織ではないだろうと当たりを付ける。彼女は時間通りにしか来ないし、彼女が来るには些か早過ぎる時間だ。誰だろう、と戸を開ける。
「悟目殿。報告書を持って来たのですが」
「あぁ、雲雀殿。すいませんね、使いになんて出して」
「いいえ」
戸の前にはまだ若い青年が手にたくさんの『報告書』を持って佇んでいた。起きる動乱だったり、反乱だったりの鎮圧を終えたという書の数々。一枚一枚は大して重くないだろうが、彼の持っているそれは常軌を逸した量だ。
生真面目な彼、九十九雲雀はですが、と言いにくそうに顔をしかめた。年配者に物を言えない、本当に真面目な青年なのだ。
「報告書の目通しは本来、殿の役目・・・貴方が無理をして目を通す必要は無いかと・・・。ああ、出しゃばってすいません」
「いえいえ、いいのです。そう言って来たのは君で二人目ですからね・・・」
「もう一人は南雲でしょう?」
「はい・・・はい、そうですよ・・・」
南雲、というのは洞門南雲の事で雲雀は彼と同期なのであまり気負いは無いようだ。ともあれ、職場内が張り詰めた糸のように緊張しているのは胃に悪いので適度に仲良しであって欲しいというのが本音である。
ちらり、と雲雀の視線が机の上を滑る。
机上には地図と駒が几帳面に並べられており、成る程と若い武人は得心がいったように頷いた。
「伊織殿に兵法を?今日はそういう日でしたね」
「えぇ・・・わたしのような者にとってみれば、癒しの時間ですよ・・・」
「あぁ、あまり無茶して伊織殿を調子に乗せないようにお願いします。彼女は少々、周りの者に甘やかされ過ぎているようですから」
「君は・・・良い兄ですね・・・」
血の繋がりは無くとも、彼と伊織は実の兄妹のようだ。ともあれ、伊織にべたべたに甘い悟目としては彼のように適度に彼女に厳しく接する事が出来る人間は貴重だ。
ところで、と言いつつ、雲雀が部屋の隅にあるものを指さす。
「あれは将棋盤ですか?どうして勉強部屋にあるのかは知りませんが・・・ぜひ、俺とも今度一局お願いしてもよろしいでしょうか?」
「構いませんよ・・・将棋盤はたまに講義が嫌になった伊織殿と指すだけですから・・・」
「・・・・・」
甘やかすなってだから。そう視線で言われた気がして、軍師は肩を竦めた。