4-3
あまり駅から離れたくない。ぐるり、と再び周囲を見回す。他に何も無ければここへ行ってみようと思うが――
再び目に飛び込んで来たのは、赤。
先程まではなかった、赤い和傘の後ろ姿。来ているのは紺の着流し。もしかして、人、なのだろうか。
こんな所に人なんているはずがない。
そう思いながらも期待に胸が膨らむ。行かない方がいいと頭では分かっていても、気付けば身体はその人物を追っていた。
「待って――」
くるり、と赤い和傘が反転する。さらりと長い黒髪が揺れた。
見覚えのあり過ぎるそれに、思わず足を止めた神無は混乱する頭で掠れた息を吐き出す。
「どうした?呆けた顔をして」
――烏羽。相棒にして護衛であり、盾でもある。
物臭なところがあるので呼ぶ前からここに待機しているはずがない、そんな性格をしていると記憶しているはずなのだが。何故、ここに?
知らず、一歩後退る。第六感的な場所が警鐘めいたものを上げている。
「え・・・っと、なんで私がここにいるって知っているの?」
「何故、というか・・・むしろ貴様が何故ここにいる?」
一歩、神無より歩幅の広い烏羽が距離を詰めてきた。本当に距離が縮む。
「ここは俺の有する異界。何やら異物が紛れ込んだようなので物見遊山ついでに立ち寄ってみたが、まさか主人を自称する小娘がいるとは思わないだろう」
「つまり・・・?」
「この土地は俺のものだし・・・んん?そう言えば以前、お前を招いてやろうと言っていたような気がするな」
――要らん事を思いだすな!
心中で絶叫し、そんな事は無いと首を振る。
「そうだったか?まあいい。どうだ?なかなか良い所だろう?」
「え、ごめん家に帰して欲しいかな・・・」
そのお願いに返事すること無く、烏羽がまた一歩踏み出した。もう手を伸ばせば届く距離感だ。赤い鮮血みたいな色の和傘が目に痛い。
ぞわっ、と背筋を悪寒が駆け抜ける。それは忘れていた知らない駅へ着いた時のそれに似ている。再び思い出した悪寒を振り切るように、神無は一息で烏羽に背を向け駆けだした。
走る、走る、走る。もう駅がどっちだったとか知らない場所には行かない方がいいだとか、そんな考えは頭から抜け落ちていた。今この場において最も危険なのは相棒であるあの男なのだと脳が正しく認識している。
息が切れてきた。視界がぐにゃりと歪む――
「えっ!?」
その光景が疲れからきたものではない、と気付くのが一瞬遅れた。急ブレーキを掛けるよりも早く、視界が暗転する。意識が落ちたわけではない。背中に柔らかい感触。けれど、走る悪寒は止まらなかった。
「何をいきなり走り出したんだ?そう怖がる事は無い。なかなかに良い所だぞ、ここは。俺は留守にしている事が多いが」
話が全然頭に入って来ない。子供と大人の体格差。烏羽の胸辺りに縫い止められた視線が動かせない。緩やかに、まるで小さな子供をあやすように背中に回されていた両腕が徐々に締められていくのを感じる。
「ねぇ、家に帰して欲しいんだけど!あの、観光とかいいから!」
意を決してその身体を押し返す。意外にもあっさりと拘束は解かれた。怒っているんじゃないか。恐る恐る烏羽の顔色を伺う。
彼は笑っていた。別人ではないのか、と疑ってしまう程穏やかに。
別の意味で血の気が引いていくのを感じつつ、やはり一歩下がった。ああ、最初の光景に似ているじゃないか。
その場に立ち止まった烏羽が、先程の「帰して欲しい」という要望に対し、これ以上無い明確な答えを寄越す。
「嫌だ」
――と。
泣きたい気持ちに駆られながら、先程のようにやはり背を向けて走り出す。「また鬼ごとでもするのか」、と少しだけ楽しそうな烏羽の声が聞こえた気がした。