第3話

2-9


 半透明な水の飛沫に赤色の液体が混ざる。青と赤のコントラスト。
 ――何て言っている場合では無かった。

「あっはっは!貴様、俺は名乗ったぞ?わざわざ得意なそれで挑ませてくれるとは!ああ、異界の主とは何と寛大な事だろうなぁ!?」
「く、クソ・・・ッ!聞いてた通り性格最悪、じゃん・・・!!」

 烏羽の死体蹴りが酷い。もう止めてあげて欲しい。
 地に伏した常盤が恨めしげな目で相棒を睨み付けている。立場が違えばきっと自分もそうするだろうから咎める気にもなれなかった。どうしてだろう、今、自分の命を狙っていた人外を応援している。
 血払いを済ませ、納刀した烏羽が得意気な顔を向けて来る。

「あー、あーっと、有り難う・・・?何かよく分からないけれど、これで出られるの?」
「ああ。ふっふっふ、もっと俺を誉めていいぞ!」
「凄い水だね」

 我ながら何を言っているのかさっぱり分からない。
 どうしたものか、と常盤に視線を移して小さく悲鳴を上げた。

「な、に・・・?ああ・・・」

 悲鳴を上げられた本人は自嘲めいた笑みを浮かべる。うつ伏せの状態から右手を動かしてそれを視界に入れると納得したように頷いた。

「身体が・・・崩れてる・・・人間って、スプラッタとか・・・苦手なんだよね・・・。ふふっ、短い現世だった・・・ああ、まだ青朽葉にお土産も買ってないや・・・」
「な、何だか可哀相になってきた。あ、そうだ。朝ご飯にと思って持って来たカステラが二切れあるよ。いる?」
「・・・貰おうかな・・・」

 そういえば、この《うろ》はどうなるのだろうか。土産以前に、もうこれ虫の息なのだが。帰れるのか?どうなのだろう、と烏羽に尋ねてみると彼は肩を竦めてこう答えた。

「どうもこうも、死ぬ程の怪我ではないな。還るだけだ」
「死なないの?」
「よっぽどの事が無い限りはな。存在の根底を覆す痛手を受けねば、大抵は還るだけだ」
「ふぅん?それってどんな時なの?」
「父でも母でも、存在を否定されれば死ぬしかないだろう?」

 静かな目をしている烏羽だが、たぶん彼にも『自分達の死』について把握していないのだろう。その証拠に断言する調子ではない。
 そうこうしているうちにかなり原形が崩れていた常盤がパキリ、という音と共に完全に崩れた。首から落ちた頭の断面は肉や血ではなく、割れた硝子のようだ。しかし、作っている血溜まりは本当に赤い色の血。

「出られるな」
「いや、本当に助かったよ烏羽。あなたがいなかったら、今頃どうなっていた事か・・・。うん、今まで割と邪険にしててごめんね?」

 誉めると伸びる子なので取り敢えず誉めておく。なお、心の距離はミリ単位でしか縮まっていない。最初の扱いと今の行動を信じられないのは彼の人格的問題なのでどうしようもないだろう。
 再び空間が揺らいだ。
 時間が動くような、空気が動くような、言い知れない開放感に包まれる。近付く喧騒にやっと元の世界に戻って来られたのだと気付いた。

「あれ?神無ちゃん?こんな所でどうしたの?もうとっくに授業始まっているよ」

 何故か聞こえて来た天乃美琴の声により、現実へ強制送還させられた。