第2話

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 ぜぇぜぇ、と長距離走をした後のような息を漏らす。もう現界だった。疲れた。
 見かねた黄丹の提案により空き教室の一つで休憩する。思っていた以上に自分の体力が無くて驚きだが、基本インドア派だったのに最近の生活がおかしかっただけだろう。

「そんなになるまで走らなくていいッスよ!もっと身体を大事にしましょう、先輩」
「ご、ごめん・・・疲れやすいって認めたくなくて・・・」
「まぁ分からなくもないッスけど」

 今現在に至るまで戦闘の類は全てスルー。何でも、異界の主には力の動きが分かるとかで、黄丹や比叡が戦闘行為に及ぶ度、場所が割れるそうだ。
 また、ここに来るまでにたくさんの生徒が《うろ》の餌食になったのは間違い無い。逃げ遅れたのか、はたまた運が悪かったのか。精神もガリガリ削れてだいぶん気分が悪い。

「こんな大事件、新聞の一面どこから二面も飾りそうだね」
「ならないと思うッスよ」
「え?でも・・・」

 渋い顔をした比叡が緩く首を振る。

「《うろ》の件は世に流出しないように《協会》が調整するッス。今回の件もたぶん、そうなるんじゃないかなあ・・・」
「えぇ・・・隠蔽するって事?」
「まぁ、そうッスね。《うろ》なんてよっぽどじゃない限り目には見えないし、これも特殊例に分類されると思うんスよねー。そんないつ起こるかも分からない特殊例の為に、民間人をビビらせるわけにはいかないってのが《協会》の方針ッス」
「言い方変えれば何とでもなるよね。そういうのって」
「あ、あんま深く考えちゃ駄目ッス!うん!」

 どうやら今回の一件は事故扱いになるらしい。こんな意味不明な事故があって堪るかと思ったが、それを工作するのは自分の役目ではないので深くは考えない事にした。比叡のアドバイスは実に的確だ。

「うーん、スマフォスマフォ、と・・・」

 先程電源を入れたスマートフォン。画面を着けて見ると、当然の如く画面右上には『圏外』となっていた。落胆は無い。どうせそんな事だろうと思っていた。

「俺のも駄目ッスね。圏外ッス。つっても、どこにも電話掛けるアテなんてねぇけど・・・」

 ――ザザザッ。
 耳に聞き慣れたような、しかしいつ聞いても違和感を覚えるノイズ音が届く。ハッとした顔の比叡が勢いよく顔を上げた。

「何か来るぞ。立てよ、またどうせ逃げんだろ?」

 黄丹がいい加減走り疲れた、と溜息を吐いた。
 刹那、教室後ろの扉がゆっくりと開く。もう場所がばれたらしい。早く逃げないと。この自身の命を懸けた鬼ごっこに勝つ為にも。

「うっ!?ここに来て首謀者と対面たぁ・・・オイ、どーするよ」

 踵を返し掛けた黄丹の足が止まり、釣られて比叡の足も止まった。そんな彼等の視線の先にはかなり人の形に近くなった状態の《うろ》が確かな足取りで一歩ずつ近付いて来ている。
 背筋に冷水を流しこまれたような悪寒。《うろ》が一歩進む度に空間ごと押し迫ってきているような圧迫感。上手く呼吸が出来ない閉塞感で身動きが取れなくなる。

「あ、コレヤバイ奴ッス・・・。え、え、濃度高くないッスかこれ?」
「こりゃ俺も勝てねぇだろうな。どうするよ、泰虎」

 どういうことだ、と尋ねようとするも一層酷いノイズ音で思わず閉口する。《うろ》の方を見ればまるで身振り手振りして会話しているかのように口が開いては閉じた。何か話し掛けているのは明白だ。

「足止め、するしかないッス。先輩、どうにか前のドアから逃げてください!」
「え、一緒に逃げようよ。危ないよ・・・」

 《うろ》は臨戦態勢に入った黄丹を警戒しているのか、その足を止めている。しかし長くは保たないだろう。何せ、余裕の無さそうな黄丹の表情がよく見える。

「たぶん美琴先輩もどこかにいるッス!2対1ならどうにかなるかもしれないから、連れて来て欲しいッス」
「天乃さんがどこにいるかなんて、私は知らないよ。そんな事している間に八つ裂きにされちゃうかも・・・」
「八つ裂き!?ちょ、恐い事言わないでくださいッス!!」

 いいから早くしろ、と比叡に怒鳴られる。そうだ、自分がこの場に残っていても何の意味も無い。精々使えるのは数枚の札だけだし、黄丹に余裕の無いような相手にそれが通じるとは思えなかった。
 もう一度だけ比叡と黄丹の方を振り返り、例の如く「早く行くッス!」、と言われる。
 もう一瞬だけ躊躇った神無は次の瞬間には走り出していた。強張っていた身体はしかし、滑らかに動く動く。本当は自分が一番あの場から逃げ出したかったのだと酷く情けない気分になった。