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だからこそ、この男の誘いに乗るわけにはいかなかった。先程のあれは夢で片付けられる。けれど、彼は実在する人間であり国語の教師であり、担任の教師だ。現実から目を逸らす事は出来ない。
夜宮言は笑みを浮かべている。常々胡散臭いと思っていた笑みではなく、恐ろしい程、慈愛のようなものに満ちた笑みを。
「先生、これ以上近付かないでください。何だかその、怪しいですよ、このやり取り」
「ええ、私もそう思います。ので、その変態を見る様な目を即刻止めていただけませんか。警察を呼ばれてしまいます」
「あまり・・・焦ってないんですね」
「はい。別に困りませんし。ほら、家に帰る時間がどんどん遅くなりますよ。面倒な問答は止めにしましょう。君には車に乗ってもらわなければならないのです」
「家には・・・」
「帰しますよ。ただちょっと君が予想しているより、遅い時間になるでしょうけど。じゃあ、はい、車に乗ってください。合崎神無さん」
――ああやっぱり。
日常が遠ざかる足音が聞こえる。何が起こるのか、それは分からない。ただ漠然と、何のものか分からない靴音だけが聞こえて来る。
何が悪かったというのか。電車で読書に熱中してしまった事か。それともこんな教師のクラスになってしまった事か。或いは今日の昼休み、こんな男と会話などしてしまった事か。もしかすると全てかもしれない。
バタン、と助手席の閉まる音が聞こえた。
ハッと我に返ればすでに車に乗せられている。ここまでの記憶が酷く曖昧だ。本当に自分の足で立って歩いていたのだろうか。
「君は怪談話に興味がありますか」
ハンドルを握った夜宮がこちらを見もせずに問い掛けてきた。いいえ、と応える。浮ついた話に興味は無かった。しかも女子高生がする怪談話というのは現実離れし過ぎていたり、話というクオリティではない程に支離滅裂だったりと聞いている途中で興味を失ってしまうものばかりだ。
そうでしょうね、と夜宮は笑う。
「だからこそ、あの駅について君は何も知らなかったのでしょう。ええ、監視しておいて正解でした」
「・・・今、何て言いました?」
「監視していました!君を!特に図書室で新しい本を借りた、或いは君が新しい本を持って来た時は」
「犯罪ですよ、通報――」
「熱しにくい君は物事に嵌るとなかなか抜け出せませんね?駄目ですよ、君を乗せているそれが本当に目的地へ向かっているのか注意していないと」
「止めて下さい!」
思わず声を荒げた。
そうだ、先程のあれは疲れた自分が視た夢。もうそれでいい、そうでありたい。そして夢というものは他人と共有するものではない。だから自分の夢の内容をこの男が知っていてはいけないのだ。