09.
茫然とその様を見ていると、不意にその怪物は大きく咢を開いた。ぽっかりと空いた口腔が《大いなる虚》を連想させる。が、次の瞬間にはそこから光球を3つ、4つと吐き出す。
先程までの魔法とは比にならない熱量が頬を撫でた。異次元バトル過ぎて、頭が付いて行かない。が、フェイロンが珠希とイーヴァの間に立つ。一応、ブラインドの役割を果たしてくれるようだ。フェイロンさまさまである。
「――どう、フェイロン。逃げられそう?」
「ううむ、まあ、無理であろうなあ……。足が腐り落ちるのを覚悟の上で、打撃技を入れてみるか?」
「止めた方がいい。あなた以外に魔法をまともに扱える人物は居ない。ランドルは召喚師であって、治癒術師ではないのだから」
「コルネリアの存在をさらっと省くなあ、イーヴァよ」
「彼女は見るからに、サポート魔法を使えるような人じゃないでしょ」
残念な事にそれは至極尤もな意見だった。コルネリアがフェイロンに回復の魔法を掛けているところなど、欠片も想像出来ない。逆も然りだ。
一方で、避ける訳でもなく大人しく光球の直撃を食らったカルマはと言うと、何事も無かったかのように佇んでいた。ゆらゆら、ゆらゆらと所在なさげに、そして同時に何かを探しているように。
では何を探しているのか。
今日は冴えているのかもしれない。何故か珠希には、カルマらしき彼女が何を求めているのか、薄らボンヤリと理解してしまった。というか、ポケットに入れたままの小瓶の存在を鮮やかに思い出した。
震える指で、ポケットの中に入ったままの小瓶に触れる。それは、珠希の体温で僅かに温まっていた。
「ねえ、あのさ……」
「どうしたの、珠希?」
「全然、何の根拠も無い話なんだけど……あのカルマの女の子って、神殿跡地で拾った、小瓶を探しているんじゃない?」
ハァ? といつもの如くフェイロンが顔をしかめる。今回ばかりは本気で何を言っているんだコイツは、という顔だ。
「何故あのカルマが女の子とやらに見えるのかも謎であるし、アレはそもそも探し物をしているのか? あと、主はまだ小瓶を持っていたのか……。俄かには信じられぬし、その小瓶をどうやってアレに手渡すつもりだ?」
「一変に色々聞かれても困るんだけど。何でかって強いて言うなら……勘?」
再び盛大に溜息を吐かれた。ちら、とカルマの様子を伺うとやはり黙って佇んでいる。それをコルネリアが遠巻きに眺めているのが見て取れた。
ふら、とフェイロンが一歩足を踏み出す。
「ともあれ、小瓶に関係があるという線は否定出来ぬか。活用方法を考えよ。俺は足止めをしてくる」
「触らない方がいいよ、フェイロン! イーヴァもさっき言ってたし」
「そのような下手は打たぬ」
それだけ言うと、素早くフェイロンはカルマの元へ駆けて行った。心配過ぎる光景に胃が痛み始めるのを感じる。
無言で胃を押さえていると、イーヴァが言葉を紡いだ。
「フェイロンも長くは保たないと思う。今のうちに、小瓶を出してみて。珠希。最悪、それに興味を示すのかどうかは判断出来る」
「そっ、それもそうだね」
ポケットを漁って小瓶を取り出す。日に透かしてみると、光が美しく反射した。
――と、同時に少女の頭部が間違いなくこちらを向く。どう贔屓目に見ても、この小瓶が気になっている事は明白だ。
よし、あとはこれをどうするかだ。そう思ってフェイロンに視線を送る――
「な、なに……?」
有角族の貴族さまはこちらを見て目を見開いていた。カルマが接近している訳でもなく、イーヴァもまた首を傾げている。
と、小瓶を掲げた手首に布のようなものが触れた。息を呑んで振り返る前に、手首をぐっと掴まれる。驚いたイーヴァがその場から飛び退き、そして呟いた。
「あなたは……バイロン!?」
例のお面マンだとすぐに気付き、首だけ動かして背後を見る。相変らず不気味な事この上無い面をした彼は、自分を見下ろしているようだった。空いた片手が、面を外せば口元辺りに伸びる。
人差し指は静かに、というゼスチャーを形作っていた。思わず口を噤む。
「どういうつもり!? 珠希を放しなさい……!!」
強い口調でそう言うイーヴァを牽制するかのように、ゾッとするような感触が首に巻き付いた。背後で何が起こっているのか伺い知る事は出来ないが、手袋の嵌ったバイロンの手は、間違いなく力を籠めれば珠希の首を締め上げるだろう。
知らず知らずの内に不利な体勢に持ち込まれていたようだ。冷や汗を掻きながら、浅く呼吸する。