第9話

04.


 ***

 今日は休養日だった為、何となくする事が無かった珠希はぼんやりと落ちて行く太陽を眺めていた。今まで忙しかったのが嘘のように平和な1日だった。

「珠希さん」
「はい?」

 不意に姿を現したのは珍しい事にランドルだ。彼は基本的に仲間内と語らう事に時間を割くタイプではないので、こうして彼から話し掛けて来るのは稀だ。いつも、誰かの用事がない時は一人で過ごしているらしいし。
 そんなランドルは1枚の紙切れを持っていた。魔法のレッスンだろうか、と飛んでいた思考が戻って来るのを感じる。

 しかし、ランドルは身構えた珠希を余所に淡々と用事を告げ始めた。気のせいだろうか、声が少しばかり硬い。若干の緊張感を覚えるような声音だ。

「珠希さん、これを」
「今日はこれで練習ですか?」
「ああ、いえ。これ1回きりの使い捨て術式なんですよ。僕はカモミール村に一軒家を借りたのですが、そのリビングに戻る為の術式です」
「はあ……、ありがとうございます。何かあった時は、これで逃げろって事ですか?」
「はい、その通りです。かなり簡単に発動できるよう調整したので、危険な時はこれで退避を計って下さい」
「へー、ありがとうございます!」

 実に実用性のある術式だと思った。礼を言ってランドルの顔色を伺ったがしかし、彼は上の空である。何かトラブルでも起きているのだろうか。が、それを訊ねる前に召喚師はくるりと背を向けた。

「では、こちらの作業に戻ります。何かあれば声を掛けて貰って結構です」
「はーい。おやすみなさい、ランドルさん」

 軽く手を振る。ランドルは足早に去って行ったが、入れ替わるようにしてふらりとイーヴァが現れた。傍らにはフェイロンの姿もある。彼女等はフェイロンの仕事の関係上、最近一緒にいる事が多い。
 そんなフェイロンは早足に去って行くランドルを見て首を傾げていた。

「何ぞ、主に用があったのではないのか? アレは」
「その用事なら済んだみたいですよ。新しい術式を貰いました」
「ほう、何の術式だ? 才能の欠片も無い主にも発動出来るものかどうか、試してみた方が良いぞ」

 フェイロンの言う事は尤もだったが、流石に今さっきランドルに言われた言葉を忘れる程、耄碌してはいない。珠希はその首を横に振った。

「何か1回きりしか使えないらしいよ」
「はぁ? 何故わざわざ1回という回数制限を? というか、何の術式だ」
「珠希、よく分からないものを乱発したりしないでね」

 心配そうにそう呟くイーヴァだが、彼女は自分を何だと思っているのだろうか。術式を手にするや否や、所構わず魔法を放ちまくるテロリストだとでも思っているのだろうか。
 苦笑しつつ、2人の問いに答える。別に変な術式でも無し、隠す必要も無い。

「何か、ここへ戻って来る為の術式だってさ」
「ほう。使い勝手の良いものを貰ったのか。だが、それならば尚更、回数制限の意図が掴めぬな。移動術式とは元来そういうものであったか? イーヴァ」
「どうかな。私は魔法を使える程、魔力に恵まれてはいないから何とも言えない。けれど、珠希の体調を心配したんじゃない? 乱発出来ないように。急に戦闘を離脱されても困るし」
「あの術師が、そのような些事について逐一考えているとは思えぬがな。まあよい、我々も主に用があるのだよ、珠希」

 何の用事だろうか。続く言葉を待っていると、イーヴァがローブから麻袋を取り出した。じゃらじゃらとした音が聞こえて来るのが分かる。
 簡単に閉じられた口を開き、中身を取り出した。細かい鎖がじゃらじゃらと付いた、4本の杭だ。イメージで言えばキャンプなどで使う簡易テントを建てる為の道具に似ているだろうか。

「珠希。これが《虚》を封じる為の封具。私達はこれを手分けして所定の位置に打ち込まなければならない」

 ――うろ、って穴なんだよね? この細い鎖で穴の補強するのって無理じゃね?
 そう思いはしたが、考えるのをすぐに止める。何とかっていう凄い本に載ってた製法だと聞いた。非ファンタジー脳では考えつかない感じで穴を塞げるのだろう。そこを細かく考えても無駄だ。

「それで、主の役割についてだが。知っての通り、主等人の子はアグリアの大気を吸い込む事が出来ぬ。その、張られている結界でイーヴァを護衛しつつ、杭を打ち込み、そして道具を発動させるのが役目だ」
「それって私とイーヴァが行かなきゃ駄目? フェイロンがやればいいじゃん。ていうか、コルネリアも居るよね」
「残念な事に、道具の使用法が作った本人にしか分からぬ。付き合って貰うぞ、珠希」
「……うーん、それなら仕方ないかなあ」

 その結界とやらがどういう原理で発動しているのかは分からないが、気分が悪くなれば助けるくらいはしてくれそうだ。不具合が起きた時は、また計画を見直せばいい。
 最近、考え方がファンタジー寄りになってきたな、と自嘲しつつ今居るメンバーと夜空を見上げる。というか、明日まで休日らしく、やる事が無かったのだ。