第9話

05.


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 ヨアヒム達に別れを告げ、歩く事1日。
 フェイロンのお仕事地である《大いなる虚》とやらが近付いて来た事に、珠希は顔をしかめた。というのも、明らかに物々しい看板があちこちに見受けられるからだ。『立ち入り禁止』だの『この先危険地帯』だのと、不安を煽る内容ばかり。

 一抹どころか多大な不安を抱きつつ、珠希は黙々と歩くフェイロンへと視線を向けた。

「フェイロン……本当に、私達はここに入って良いんだよね? 関係者以外、立ち入り禁止とか書いてあるけど」
「阿呆め、俺は関係者であろう? 逆に、俺が入れなかったら誰が入れると言うのか」
「いやまあ、そうなんだけどさ」
「案ずる事は無い。危険があれば方法と日を改める」
「あ、そう……。それで、虚ってどんな所なの? 見た事無いんだけど」

 そうさな、と腕を組んだフェイロンは形容するに相応しい言葉を探しているようだった。ややあって、重々しく口を開く。

「見た目はただの深すぎる穴に過ぎぬな。が、何度も言うようだが虚はアグリアの大地に開通しておる。通り抜けた先は我等の地だ」
「そうなんだ。アグリア? って所はどんなところ?」
「青青とした――かつて迷い込んだ人間は、桃源郷などと称する場所だな」

 桃源郷。随分とまあ、過大な評価だ。様は中華風楽園という意味なのだろうが、全く想像出来ない。というか。

「人間?」
「うむ。まあ……早くアーティアに返しはしたが、長生きはしなかったようだな」
「何それ悲惨!」
「俺も何故そうなったのかは知らぬよ。召喚事故の類であろうが、上手い事隠蔽されてしまったようだ」

 闇が深い話題だ。これ以上は突かない方がよさそう。
 珠希が口を閉ざしたタイミングで、ダリルが「あ」、と間の抜けた声を上げた。

「来たな、立ち入り禁止区画……。俺とロイと、あとランドルさんはここで待機か」

 ダリルの視線の先には、深々と礼をする王都の兵士2人が立っている。兵士の片方が口を開いた。

「お話は伺っております。フェイロン様ですね?」
「如何にも」
「存じているとは思いますが、この先、人間の立ち入りは禁止となっております」
「うむ。ではダリル殿、すぐに戻る故、他の連中を頼んだ」

 有角族の言葉に了解、とダリルが応じる。
 おい、と不機嫌そうにコルネリアが眉根を寄せた。

「お前本当に珠希を連れて行くのか?」
「当然よ。こちらの任務は虚を塞ぐ事。様子見ではない」
「ああそう。珠希、ランドルからのプレゼントは肌身離さず持ってた方が良いぞ」

 ランドルからのプレゼント――例の術式の事だろう。言われずとも、戦闘離脱用の魔法は普段からいつもポケットの中に仕舞っている。それをコルネリアに見せると、彼女は満足そうに頷いた。

 一方で、居残り組の面倒をナチュラルに任せられたダリルは、少しだけ不安そうな面持ちである。

「俺は一緒に行けないからなあ。何かあったら、最悪向かうけれど、俺達の援護は期待しないでくれよ」
「大丈夫。危ないから、ダリル達は中へ不用意に入らない方が良い」
「そうは言ってもな。俺は一応、護衛って名目でここに居る訳だし。何かあれば多分行くよ。大声で呼んでくれ」

 大丈夫だよ、ともう一度だけそう言ったイーヴァがぴったりと珠希にくっつく。結界の効果範囲が分からないからだろうが、それにしたってよくも不確かなものに縋ろうという気になるものだ。彼女のお人好しさは時に心配になってくる。

 さて、とフェイロンが一歩足を踏み出した。道筋は把握しているのだろう。その足取りに迷いは微塵も無い。

「では向かうとしようか。行くぞ」
「フェイロン、私達の事を絶対に置いて行ったりしないでよ……!」
「珠希よ、一応確認しておくが……俺が非戦闘員を置いてどこぞへ消えた事など、一度でもあったかな?」

 ――いや多分無い。無いが、これは言うなれば心を落ち着ける為の確認行為である。はっはっは、とコルネリアが唐突に腹を抱えて笑い出す。

「そりゃお前、日頃の行いってやつだろ。信用は日々の積み重ねだぞ、お貴族サマ」
「不審の代名詞のような主に言われてもな。魔族の二枚舌こそ信用に値せぬと思うが」

 大丈夫だろうか、この面子。
 別の不安がムクムクと膨らむ。どうしてこう、人外2人は大変仲が悪いのに、よくセットになってしまうのだろうか。これが巡り合わせというものなのかもしれない。